👆 土曜深夜のコーズウェイベイ(香港の渋谷)での 👆
客待ちタクシーの列。人通りもまばらだ
今日、仕事帰りに家の近くのスーパーで買い物をし、
レジへ向かうと、二つしかないレジには長蛇の列が…。
いつもなら、並んでいる時間が無駄だ、とばかりに、
商品を棚に返し、即行で別のスーパーへ行くのだが、
この日は、ワインやら、ポン酢やら、日本の醤油やら、
今、家で切らしているモノばかりがカートに入っていた。
おまけに、外は雨が降っている。
「このワインはどうしても今晩飲みたいし…。」
「ポン酢はこのスーパーが最安値なんだよなあ。」
「この商品を全部棚に返すのも、面倒だし。」
と、このままレジに並んで商品を買おうか、と思う反面、
「ここに並んでたら30分はかかるやろなあ。」
「大事な夜のくつろぎタイムがなくなってしまうでぇ。」
「前のあのオバハン、もたもたしててイラつくわー。」
と、もう今日は諦めて、買い物は別の日にしよう、
ポン酢が無くて死ぬわけじゃなし、という思いも出てくる。
ああ、これが、かの有名な、自我のささやきか。
面白いので、しばし、そのささやきに耳を傾けてみた。
すげぇーっ!
数秒の間に、莫大な思考がシュワシュワ上がってくる。
そして最後は、
「まあ、知らんけど…。」という大阪的オチでフィニッシュ。
結局、そのまま、総合的に見て、
買う商品の少ない客の列を選んで並んだ。(ちゃっかり)
👆 この風景がアートに見えるのは僕だけか?👆
いま、この瞬間、自分はレジの長い列に並んでいる、
という状況に抵抗しないでいると、商品棚に並んでいる、
ピクルスの瓶詰めや、調味料の配列が、とても芸術的で
美しいものに見え出し、僕の前に並んでいるおっちゃんが、
すごく味のあるシブい俳優さんのように感じられてきた。
うわっ、何から何までアート!何から何までクール!
神の愛が粒子のように画面を流れている。
その神の想いの波に身をゆだねる。
そうすると、
早くレジを済ませて、家に帰ってあれをしなくちゃ、
ではなく、いま、神の中で神(自己)を感じている、
そのついでに、スーパーでレジの順番を待っている、
みたいな感じになる。
神の中で神(自己)を感じている、そのついでに、
会社で、エクセルの表を作成している、みたいな…。
要するに、レジで並ぼうが並ぶまいが、
会社に夜10時までいようが、定時で帰ろうが、
何をしてても、もう関係がないのだ。
今、この瞬間に在る神の想いを知覚しながら、ついでに、
仕事をしたり、買い物をしたり、道を歩いたりすると、
何をどうして、結果、どうなったとしても、オーケーとなる。
だって、いま、この瞬間しかないし、それに何より、
神は絶対に、僕を責めたり、苦しめたりなどしないから…。