香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ずっとそばにいる

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今日は、定時きっかりに仕事を終えた。

 

夜、買ってきた叉焼をつまみにマッコリを飲みながら、

 

WOWOWシネマで『ツナグ』という日本映画を観た。

 

その中で主演の松坂桃李が樹木希林相手に呟いた、

 

「僕の目の前からいなくなった大切な人たち。

 

 ただ僕の目には見えないだけで、

 

 彼らは、今も、ずっとそばにいる…。」

 

というセリフに涙があふれた。

 

まあ、あらすじは検索していただくとして、

 

全編を通し、切なく、泣ける映画であった。

 

原作の小説も読みたくなったほどだ。

 

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👆 映画『ツナグ』より。大野いとちゃんが神すぎる!

 

僕はどちらかというと、視覚的なものから愛を感じ、

 

神に繋がってゆくタイプなので、赦しの過程で出てくる、

 

一瞬黙る、一瞬沈黙するの意味がよく解からずにいた。

 

しかし、聴覚的な赦しとはこういうことなのかな、と、

 

今日、腑に落ちた瞬間があった。

 

 

事務所の上の階のフラットで内装工事が行われていた。

 

ドリルで壁を削る、ガガガ、という音が癇(かん)に障る。

 

常に騒音がある訳ではなく、忘れた頃にガガガガと来る。

 

ずっとうるさかったらまだしも、仕事に集中している時に、

 

突然、ガガガ、と来るので、ドキッとして心臓に悪い。

 

 

そして、

 

静寂 👉 ガガガ 👉 ドキッ 👉 再び静寂、

 

を繰り返すうち、あることに気づいたのだ。

 

静寂があってガガガがあり、ガガガがあって静寂がある。

 

静寂とガガガは表裏一体なのだ、と…。

 

そして、ガガガの次のドキッ、が神の想いである。

 

 

静寂というベースの上に、ガガガガが生起している。

 

全ての音は、

 

静寂の中から起こり、消え、再び静けさへと戻る。

 

青空に雲が起こっては消えてゆくのと同様、

 

あらゆる物音、声、言葉は、静寂をベースに存在する。

 

全ての喧騒の裏に流れる〝静謐〟に気づくことが、

 

神に気づく入り口であり、沈黙する、一瞬黙る、

 

ということの真の意味であったのだ。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

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今にいて、一瞬黙り、

 

全ての喧騒の裏に流れている静けさに耳を傾けてみる。

 

相手が発する言葉の間にたゆたう沈黙を静観する。

 

そうすることで、耳にする全てが〝神の声〟となる。

 

沈黙はそこに在り、それは聴覚によってキャッチされる。

 

 

そういう感じ方で、内装のガガガガを聞いていると、

 

それもまた、神からの愛してるよー、に聞こえ、

 

なんだか、キュンキュンしてくるのだ。

 

(👆 こっ、このド変態野郎!)

 

 

聴覚をこのように捉えたことがなかったので新鮮だった。

 

そういう意味で五感は、

 

神を感じるためのとても大切な器官(ツール)だ、

 

と思えた今日のボクであった。