香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ラッキーッ!でいいじゃん

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コースの学習者が、赦しを実践し、神に繋がってくると、

 

幻想の世界が聖霊によって優しい絵に差し替えられる。

 

本当に世界が優しく、愛そのものに感じられてくるのだ。

 

 

具体的に言えば、

 

これまで大嫌いだった人が、大好きな人になったり、

 

苦手だと思っていた人が、自分の味方になってくれたり、

 

自分がやりたいと思っていたことができるようになったり、

 

と、人生がとても愛と感謝に満ちたものになる。

 

 

しかし、奇跡講座の勉強会やリトリートで、

 

「赦しをしていると世界が愛そのものになりました。」

 

なんてシェアをすると、間髪入れずに発せられるのが、

 

私たちは、外の世界をよくするために、

 

コースを学んでいるのではないんですよ、という一言だ。

 

 

ごもっともである。

 

僕たちは、この夢の世界を終わらせ、

 

父が待つ故郷へ永遠に帰還するために学んでいる。

 

それには、

 

この夢の世界を放棄することが必要になってくる。

 

しかし〝神が在る〟だけが真実だと体験するにつれ、

 

嫌でも、夢の現実がよくなるのもまた事実である。

 

そして、その幸せを天国の神の愛の反映として、

 

素直に受け取り、歓んでいるのが赦した状態なのに、

 

そうはならず、そんな世界は無いんですよ、と、

 

自我の世界を否定するその延長線で、

 

そこへ反映されている神までもを無いものにしてしまう。

 

まあ、そこには、学習者が自我に警戒しなくなり、

 

他の引き寄せスピなどと混同してしまうことを警戒した、

 

教師の〝親心〟あるのかもしれない。(!笑!)

 

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僕は、

 

お金がたくさん入ってきた、最高の恋人に出会えた、

 

仕事で大成功を収めた、など、現実が良くなったら、

 

「やったあー、ラッキー、神様、ありがとう!!」

 

くらいの軽い気持ちでいていい、と思っている。

 

現実が良くなったその結果に対してラッキーなのではなく

 

お金が入って嬉しい、という、いま、この瞬間に感じる、

 

幸せな〝想い〟を、神の愛としてフォーカスしている。

 

そして、この幸せな思いに抵抗しないでいると、

 

それが呼び水となって神の愛がわわわ、と延長される。

 

 

それになにより、まだ先があるんですよ、なんて、

 

野暮なことを言わなくても、何が実存で何がそうでないか

 

コース兄弟なら、深いところではちゃんと解かっている。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

赦しは、辛さや苦しさの中で成されるものではない。

 

辛さや苦しさの中では、何も赦せない。

 

なぜなら、つらい、と感じてしまった時点で、

 

無いはずの苦しみを実在化させてしまっているから。

 

 

神の愛を知ったいまなら断言できる。

 

たとえほんの少しでも、

 

辛い、と感じながらする赦しは、自我だ。