今日は、在留届を出しに日本国総領事館へ行ってきた。
というのも、昨日領事館から電話があり、先日送付した、
天皇誕生日祝賀会への招待状が返送されてきたため、
その理由を知りたい、ということだった。
実は、去年引っ越しをして、
そのまま住所変更手続きを失念していました、
と伝えたところ、新型肺炎の影響もあり、
在留邦人の居場所を把握しておく必要があるので、
すぐに変更手続きをしにきてください、と言われた。
それで、今日、わざわざ総領事館まで出向いたのに、
結局、パスポートを忘れて領事館に入れなかった。
チャンチャン!以上!
というわけで、日本国民として、
自分って日本に護られてるわあ、と感じた一日であった。
閑話休題。
父が待つ天国へ永遠に帰還する旅は、
ひとりひとり微妙に違う、という話である。
奇跡講座には、様々な〝流派〟(笑)があるようだが、
実際、人それぞれ設定されているスペックが違うので、
Aさんがワプニック氏で全てが分かったからと言って、
ワプニック氏が唯一の正しい道かというとそうではない。
Bさんはにはゲイリーが合っているのかもしれないし、
Cさんは自分に訊くことで理解が起こったりする。
また、様々な教師から、
自分が納得する部分だけをチョイスし、自分の中で、
自分なりに消化してゆく人もいる。(👈 ボク)
大切なのは、どの教師が絶対的に正しいか、ではなく、
どれが自分のスペックに合っているか、なのだと思う。
そして、合っているかどうかを判断する基準は、
その教師の言っていることに心地よさが感じられるか、
愛と平安が感じられるかどうか、だと思う。
血液型で例を挙げるのもナンなのだが、
例えば、独創性が売りであるAB型の兄弟が、
ワプニック氏のやり方で、学校でお勉強をするように、
きちきちに理論を学んでも苦しいだけだし、
また、心の中に深いトラウマを持つ兄弟が、
デイヴィッドのコミュニティで、自分の内面をさらけ出せ、
と言われても、恐怖以外の何者でもないだろう。
まあ、これは、奇跡講座に限ったことではなく、
職場、パートナーシップ、友人関係、などにも言える。
要するに、自分に合った場所と雰囲気というものがあり、
またそれが、自分にとって100%だったからと言って、
他の人がやっていることは違う、という考えになるのは、
ちょっと乱暴すぎると思うのだ。
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僕の場合、
今はもう、内なる神の実存だけになってしまったので、
誰かから何かを学ぶということは無くなってしまったが、
元来、器用にそつなく何でもこなせる性格だったので、
以前は、
デイヴィッド、ワプニック、ゲイリー、エッグタルト、など、
節操なく、どの教師からも、同時並行的に学んでいた。
なぜなら、
100%間違っている教師は一人もいないし、
また、100%正しい教師もいないと思うからだ。
なので、
「この教師が言っていることはいいなと思ったけど、
あの部分にはちょっと違和感があるな」と、
各教師の中の、自分が真理だと思える部分を受けいれ、
自分なりに消化し、実践していった。
結果、最終的には、神だけやん、となった。
要は、このやり方が〝僕には〟合っていたのだ。
何を選ぼうと、最後はやっぱり、神だけやん(GOD IS)
となるので、それなら、自分にとって心地よいやり方で
学んでいくのが一番ではないか、と僕は感じている。
なぜなら、みんな最後には、どんなマスターも、
どんなコミュニティーも、どんなスピメソッドも、
必要なくなるのだから…。