他者から何か、どん底に突き落とされるような一言や、
怒りや恐怖を誘発するような言葉を投げかけられた時、
それは、普段、自分が自分に投げつけていた言葉だった
ということに気づいてはっとしている今日この頃である。
以前、このブログでも書いたが、パーティーの席で突然、
声が女みたいで気持ち悪い、と言われたことがあった。
これは、若いころから気にしていた部分でもあり、
言われた瞬間、ショックで身が凍ったのを覚えている。
で、昨夜、なんとなくこの時のことを思い出していると、
ああ、これは、普段、自分が自分に呟いていることを、
外側の誰かにハッキリキッパリ言わせることで、
その信念を強化していたんだ、ということが分かった。
また、別の観点から見れば、
自分の声は気持ち悪い、だから、もっと注意しろ、
人前で話すときは絶対に気を抜くな、常に緊張していろ、
でないと、みんなから気持ち悪いって攻撃されるぞ、と、
常に自分を叱咤し続けた結果、本音の自分が、
「もうやめてくれ!」とばかりに、周囲の兄弟を使って、
自分攻撃を止めさせようとしている。
なので、兄弟から何か言われて心が傷ついたのなら、
それは、お前はこういうところが、ダメだ、ダメだ、ダメだ、
と、自分が自分を傷つけていることへの警告でもある。
また逆に、兄弟から〝言わせられる〟パターンもある。
というのも、香港支社には僕の他にもう一人、
部品の調達などを担当している日本人駐在員
(50歳/子供二人/妻は中国人)がいるのだが、
昨日の部門長会議で、彼が20分くらいかけて、
自身の仕事の成果をトクトクと発表したにも関わらず、
のちに送られてきた議事録には、彼の発表内容の
記載はおろか、彼にだけ社長のコメントがなかった。
以前から、彼のプレゼンは長ったらしくて要領を得ない、
何が言いたいのかよくわからない、といった意見があり、
たぶん書記の人も何を書いていいのかわからず、
社長もコメントのしようがなかったのだろう、と推測した。
そこで、僕は、言おうかどうしようか迷ったのだが、
「いつもタラーっと話すので、
たぶん社長も内容が理解できないんだと思うよ。
本当に言いたいことだけを三つくらいに絞って、
それをパワポの表にして簡潔に発表してみては?」
と、ヘコみ気味の彼に、アドバイスをしてみた。
「みんなそう思ってるなら言ってくれればいいのに。」
という彼に、だから今言ってるじゃん、と思いながらも、
「新卒でもない50歳の管理職に、みんないちいち、
そんな初歩的なことなんか言わないと思うよ。
ダメならダメって、そう評価されるだけだと思う。」
と、僕も、口をつくままに言葉を返した。
瞬間、自分には何の関係も無いのに、
普段からとても穏やかで優しい彼に対して、
僕が、こんなキツいことを言うなんて、
絶対におかしい、と思った。
そしてこの時〝いつも自分は評価されない〟という、
彼の信念を強化するために
僕が一役買わされたことに気づいた。
彼がいつも心の中で自分に対して呟いている言葉を、
僕は彼から〝言わ〟されたのだ。
なんか、こういう風にみてゆくと、やはり僕たちは、
ひとつの意識で完ぺきに事を起こしている。
だから、僕たちにできることは、
いま、この瞬間の神に抵抗しないこと、
起こっていることに抵抗せず、ただ在ること、
そうやって、自分の全てを赦すことだけだ。
こんなことをやっていると、
彼のことがとても愛おしくなり、それが反転して、
自分も彼も全世界から愛されているーっ、
という感じが押し寄せてきたので、
よし、オーケー、完了、と彼に向って親指を立て、
お疲れさまーと退社した。