香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

病気に関する考察

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 👆木の箱に入った抹茶あんみつセット500円也

  この上から蜜をかけて食べる

 

これまで、大きな怪我も大病もしてこなかった

 

僕が言うのもナンなのであるが、病気というのは、

 

意識を〝いまこの瞬間〟に戻すための自浄作用

 

なのではないか、と思う今日この頃である。

 

 

例えば、突然の歯痛や頭痛や胃痛に見舞われたとき、

 

あまりの痛さに、過去や未来のことには考えが及ばず、

 

必然的に〝今ここに在る痛さ〟に集中せざるを得ない。

 

 

また、骨折や脳卒中などで体の一部が不自由になり、

 

これまで送れていた日常生活が困難になったりすれば、

 

リハビリなどを通じて徐々に身体機能が回復するにつれ

 

これまで、未来の心配事に気を取られて忘れていた、

 

散歩する、友人と話す、といった今すべき普通のことが、

 

どれだけ有難いことだったかに気づけたりする。

 

 

そして、自分または家族、パートナーなどが、

 

余命いくばくという不治の病にかかってしまった場合、

 

それこそ、いまここにいる一瞬一瞬を、

 

惜しむように過ごし、どんな些細なワンシーンも、

 

記憶にとどめておこうとするだろう。

 

 

家の窓から見える夕日の美しさ、虫の鳴き声、

 

くだらないと思っていたワイドショーの不倫報道、

 

いつでも行けるし、と思って行かなかったあのカフェ、

 

今度でいいか、とスルーしていた人との食事、など、

 

健康な時は何とも思わずに無視してきた〝いま〟が、

 

とても大切で特別な瞬間として〝ここ〟へと戻ってくる。

 

 

そういう意味で、病気(事故によるけがも含む)は、

 

あまりに〝いま〟から分離しすぎてしまった心が、

 

バシンッ、と〝いまこの瞬間〟へ振り戻る際に起こる

 

反転作用作用なのだ。

 

 

逆に言えば、

 

いま、この瞬間に見えている、或いは、聞こえている光に

 

気づくことができれば、病気も癒されることになる。

 

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そういえば僕も、

 

今、ここに在る神に対する抵抗をやめてからというもの、

 

風邪も含めて、病気らしい病気をしなくなった。

 

 

今、ここに在ることに抵抗しないということはまた、

 

過去の自分を責めないということでもある。

 

そんな過去の自分を責めそうになった時、ぱっと中断して

 

まあ、とりあえず、美味しいワインでも飲むことにする。

 

 

そういう意味で、どんな病も、多かれ少なかれ、

 

〝自分責め〟の結果である、と言える。