とうとう、僕が自主練で利用しているジムから、
4人の新型肺炎の感染者が出てしまった。
ジムは現在、消毒のため閉鎖されているという。
ここ最近、僕は、利用者が少ないのをいいことに、
更衣室もゆったり使え、好きなマシンで鍛え放題、
ベンチの上で1時間スマホしてても何にも言われないし、
ひゃっほーい、とばかりに、通っていた。
これじゃあ、K-1を観に行った人たちを非難できない。
こういう、自粛自粛で自宅待機を求められる時期には、
ゆっくり風呂にでも入り、静かに内へ向かうことにする。
よく、赦した後は沈黙する、とコースでは言われるが、
この沈黙って、
別に瞑想したり何も考えないということではなく、
国語辞典に載っている通り、ただ、静かにしていること、
黙っていること、じっとしていること、それだけである。
僕も、あいつムカつくーっ、となって、はっと立ち止まり、
今、ここに在る神に戻った後、一瞬沈黙する。
すると、スクリーンの奥から神の想いが上がってきて
ムカつくーっ、が、大好きーっ、へと反転してしまう。
この時の沈黙ってどういう感覚なのかと言えば、
一瞬だけ強烈なリラックス状態になっている。
心身共に気持ちが静かで、ゆったりとくつろいでいる。
長い間呼吸を止めたあとに、パッと息を吐きだすように、
集中し、緊張していた心が一気に緩まる感じ。
そしてこの一瞬の沈黙、つまり、リラックスの瞬間こそが、
神の理解(愛の感覚)へとつながるうえでとても大切
なのではないか、と思うのだ。
僕の場合、
今でこそ、現実のスクリーンの裏側に在る神の想念を、
常に感じていられるようになったが、少し前までは、
神を思い出す前に、小さなリラックス(心地いい)を
演出する、というワンクッション(儀式)を必要とした。
例えば、仕事ですっごくテンパっているとき、
まず、手を休め、大きく何度か深呼吸をしてから、
コーヒーを淹れ、デスクでゆっくり飲みながらほっとする。
また、あの失礼な店員、マジムカつくーッとなった時、
とりあえず深呼吸し、周囲にいる可愛い女子を見つめ、
たまたまあった、ゆるキャラの人形を見てなごむ。
そして、過去の嫌な思い出が浮上してきたら、
マッサージに行ったり、ホラー映画を観たりして、
とりあえず、今できるリラックスを実行する。
こういうふうに、先ずは今に意識を戻し、そこから、
小さなリラックスをきっかけにして神へと入ってゆく。
今でも僕は、面倒な業務メールを受け取ったときなど、
仕事中でも人目を憚ることなく、デスクで瞑想を始める。
目を閉じて椅子の背もたれに凭れ、身体を弛緩させて、
2、3分、静かに〝大放出〟を行なうのだ。
なので 「あのう。瞑想中すみません。」 と、
同僚から声をかけられることしばしば、
こうなるともう、かなりな不思議ちゃんである。