香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

沈黙とリラックス

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とうとう、僕が自主練で利用しているジムから、

 

4人の新型肺炎の感染者が出てしまった。

 

ジムは現在、消毒のため閉鎖されているという。

 

ここ最近、僕は、利用者が少ないのをいいことに、

 

更衣室もゆったり使え、好きなマシンで鍛え放題、

 

ベンチの上で1時間スマホしてても何にも言われないし、

 

ひゃっほーい、とばかりに、通っていた。

 

これじゃあ、K-1を観に行った人たちを非難できない。

 

 

こういう、自粛自粛で自宅待機を求められる時期には、

 

ゆっくり風呂にでも入り、静かに内へ向かうことにする。

 

よく、赦した後は沈黙する、とコースでは言われるが、

 

この沈黙って、

 

別に瞑想したり何も考えないということではなく、

 

国語辞典に載っている通り、ただ、静かにしていること、

 

黙っていること、じっとしていること、それだけである。

 

 

僕も、あいつムカつくーっ、となって、はっと立ち止まり、

 

今、ここに在る神に戻った後、一瞬沈黙する。

 

すると、スクリーンの奥から神の想いが上がってきて

 

ムカつくーっ、が、大好きーっ、へと反転してしまう。

 

 

この時の沈黙ってどういう感覚なのかと言えば、

 

一瞬だけ強烈なリラックス状態になっている。

 

心身共に気持ちが静かで、ゆったりとくつろいでいる。

 

長い間呼吸を止めたあとに、パッと息を吐きだすように、

 

集中し、緊張していた心が一気に緩まる感じ。

 

そしてこの一瞬の沈黙、つまり、リラックスの瞬間こそが、

 

神の理解(愛の感覚)へとつながるうえでとても大切

 

なのではないか、と思うのだ。

 

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僕の場合、

 

今でこそ、現実のスクリーンの裏側に在る神の想念を、

 

常に感じていられるようになったが、少し前までは、

 

神を思い出す前に、小さなリラックス(心地いい)を

 

演出する、というワンクッション(儀式)を必要とした。

 

 

例えば、仕事ですっごくテンパっているとき、

 

まず、手を休め、大きく何度か深呼吸をしてから、

 

コーヒーを淹れ、デスクでゆっくり飲みながらほっとする。

 

また、あの失礼な店員、マジムカつくーッとなった時、

 

とりあえず深呼吸し、周囲にいる可愛い女子を見つめ、

 

たまたまあった、ゆるキャラの人形を見てなごむ。

 

そして、過去の嫌な思い出が浮上してきたら、

 

マッサージに行ったり、ホラー映画を観たりして、

 

とりあえず、今できるリラックスを実行する。

 

こういうふうに、先ずは今に意識を戻し、そこから、

 

小さなリラックスをきっかけにして神へと入ってゆく。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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今でも僕は、面倒な業務メールを受け取ったときなど、

 

仕事中でも人目を憚ることなく、デスクで瞑想を始める。

 

目を閉じて椅子の背もたれに凭れ、身体を弛緩させて、

 

2、3分、静かに〝大放出〟を行なうのだ。

 

なので 「あのう。瞑想中すみません。」 と、

 

同僚から声をかけられることしばしば、

 

こうなるともう、かなりな不思議ちゃんである。