僕の〝香港生活をとことん楽しむ〟計画は続いている。
昨日は、1881ヘリテージに立ち寄ってみた。
ここは英国植民地時代に警察署だった古い建造物を、
改造して作られた高級ショッピングモールで、
造り物ではないホンモノのレトロ感が漂っている。
観光客がいないからか、歩いているのは僕一人。
明るい春の日差しの中、多幸感に包まれて過ごした。
そして、今日は、トレーナーとのセッションだった。
いつもは日曜日にセッションを入れているのだが、
今日の午後6時から、少なくとも4月12日まで、
香港中のジムが閉鎖されることになったため、
急遽、ぎりぎりでトレをすることになったのだ。
僕のトレーナーの生徒はすべて日本人なので、
日本へ帰国したり、休校で子供が家にいるため、
トレーニングどころではない、という人が多く、
結果収入が激減し、その上今回のジム長期閉鎖で、
本当に死活問題になりつつあるのだという。
こうして、
新型コロナは各方面に様々な影響を及ぼしているが、
これもまた消えてゆく姿であり、肉体の僕らとしては、
ここは抵抗することなく、腹をくくって、赦すしかない。
そうなのだ。
全ての赦しの局面において、腹をくくれば何とかなる。
故郷へ帰還するために、一旦〝赦す〟と決めたら、
コロナに感染しようが、職場で意地悪されようが、
理不尽な要求をされようが、死の病に侵されようが、
破産しようが、大切な何かを失おうが、四の五の言わず、
よし、上等じゃん、受けて立つ、と、
心の中で一旦、シャキッと腹をくくるのだ。
えっ、俺のせい?OK!それでも俺は自分を責めない。
俺のことが憎い?わかった、それでも俺は君を愛す。
えっ、ガンですか?よっしゃ、病気上等、絶対に赦す。
給料これだけ?よしわかった、それでもちゃんとやる。
赦しどころが来た時、まずは心の中で、瞬間、腹をすえ、
覚悟を決め、思い切り、ふっ切ってみることが肝心だ。
〝よしっ、わかった、もういいっ、そこまで〟という、
この気持ちの切り替えが、心に軸を持たせるのだ。
この気持ちをシャキっとさせる一瞬がないと、
ドキドキ、あたふた、気持ちばかりが上ずったまま、
この間違った思いを修正してくださ~いっ、と、
モヤモヤしながら聖霊に〝お願い〟することになる。
なぜならそれを選択したのも自分なので、
そこは凛として吹っ切る必要があるのだ。
僕だって、毎日仕事をしていれば、いろんな人に出会う。
「コイツ、シバいたろか。」と思うような人にも出くわす。
しかし、僕には、絶対に兄弟をこんな風には見ない、
という〝覚悟〟というか〝決心〟が腹の底にあるので、
必ず最後は、やっぱり大好きーっ、となってしまう。
すると、これも至極当然な現象なのだが、
ボコボコにしたくなるような人は姿を消し、かわりに、
みんなどうしたんだ、というくらい、周囲が優しくなる。
これはもう、気持ち悪いくらい〝本当に〟そうなる。
なぜなら、僕が放った、大好きーっ、は、
神が僕を大好きーっ、という想いと同じものであり、
その神からの想いは、兄弟を通してやってくるからだ。