明け方、キーンというものすごい耳鳴りで目覚めた。
大勢が一斉に和楽器の笙を吹いているような音がする。
最初は隣の住人が何かを鳴らしているのかと思った。
しかし、音は自分の内部から発せられている。
しばらく、音に耳を澄まし、耳鳴りが収まるのを待った。
と、眼前を光の粒子が、シュッ、と横切るのが見えた。
小さな光の玉が流れるような感じで、何度も見える。
ただ、これらの奇妙な現象に不快感は感じられない。
逆に、耳鳴りによって、余計に静寂が強調されてくる。
で、時計を見れば、4時44分のぞろ目ときた。
結局、眠いのもあり、気になりながらも、眠ってしまった。
が、目覚めても、笙を鳴らすような耳鳴りは続いていて、
再度、時間を見れば、またまた11時11分のぞろ目。
シャワーを浴び終えた頃にはだいぶ落ち着いたが、
一体あれは何だったのだろう?更年期障害?不思議だ。
香港は今日から、新型コロナ封じ込めの一環として、
ジムや劇場やプールの14日間の閉鎖に加え、
飲食店では、テーブルの間隔は必ず1.5メートル空け、
席の使用は50%までで、4人以上同席してはならない、
と、更に厳しい規制が設けられた。
その代償として、各市民に1万香港ドル(約15万円)が
支給されるということで、もうすぐ政府発行の小切手が、
個人あてに送られてくると思われる。
家庭用の電気代も、ここ数か月はタダになっているし、
さすが金融都市香港、我慢の見返りは〝現ナマ〟だ。
今、全世界で、
〝STAY AT HOME〟(家にいなさい)と叫ばれているが、
僕はこの標語を、我が家(心/内面/自己)に留まりなさい
という意味で捉えている。
スポーツ、旅行、仕事、夢の実現、お金儲け、など、
これまで外的な社会活動ばかりに向けられてきた意識を
いま一度、自己の内側へと戻すのだ。
例えば、
外の世界でこんなに頑張って成果を出しているのに、
自分はなんでこんなにいつも空しいのか?
なんで自分は同じパターンばかり繰り返してしまうのか?
この疎外感と無力感はどこから来ているのか?
この世界って、どうしてこんなに不公平なのだろう?
忙しく動き回ることで、見て見ぬふりをしてきた問いに、
いまいちど、一人静かに向き合ってみるのである。
僕も今日は一日、外出をせず、家でまったりと過ごした。
〝我が家〟にいることに抵抗するのを止め、
起こっていることを、起こっているままに見過ごしてゆく。
僕は普段から〝兄貴とひとつ〟という感覚が強いのと、
出会う全ての兄弟がJ兄貴そのものに見えているので、
意識的に兄貴に繋がろうとすることはないのだが、
今日はなぜか、聖霊兄貴を強く感じてみたいと思った。
僕の場合、聖霊兄貴と静かに向き合いたい時は先ず、
家のソファでゆったりコーヒーを飲む、といった、
小さな心地よさをきっかけに、ハートの悦を感じてゆく。
そこから、深呼吸と共にみぞおちの奥へ深く入ることで、
聖霊兄貴へとアクセスしてゆく。
僕は、兄貴に訊いて会話をする、という感じではなく、
すでに兄貴と自分はひとつだ、と感じながら、
神の満たされた感覚を兄貴と一緒に体験するという感じ。
その時、全ては肯定され、自分を責めるものは何もない。
自分を責めている時というのは、
自分の意識の中の内なる兄貴と離れている状態なので、
それは強烈な孤独感、分離感となって顕れる。
その孤独感を外側の他人といることで埋めようとしても、
原因は自分の中にあるので、結局、うまく行かず、
逆に分離感を強めるような状況を生み出してしまう。
そういった内的活動の〝カラクリ〟を、
〝我が家〟に強制待機させられている今のこの時期に、
リラックスした気持ちで(👈ここ重要!)見てゆくのだ。