👆 重曹は中国語で〝蘇打粉〟(ソーダ粉)という
最近、コロナの影響で出張も残業もないのをいいことに、
毎日、いろいろと謎なことをして遊んでいる僕であるが、
昨日はなぜか突然、そんなことなどしなくてもいいのに、
「香港特製ロイヤルミルクティーを作ってみよーう!」
と思い立ち、ミルク鍋で牛乳を温めたら、
どわーっと沸騰して、鍋の底が真っ黒になってしまった。
焦げた鍋底には重曹がいい、とネットに出ていたので、
早速、階下の薬局で重曹を買ってきて試してみた。
鍋に水と重曹を入れ、少し沸騰させてから放置する。
うーん、全然落ちない。で、チョイ姐にLINEをしてみた。
漂白剤を入れた水で試してみろ、と返信が来た。
やってみたら、本当に一発で真っ白になった。
さっすが、プロ、と感心しながらも、
部屋は焦げ臭いし、コンロは牛乳だらけだ、と告げると、
「明日私が来てやるから、もう全部置いといて!」
と、あきれ気味に言われた。
ぎょ、御意っ!
他者から、何か気になるようなことを言われた時、
同じようなことを、自分が自分に対して言っていないか、
自分の心の中をチェックするようにしている。
例えば
友人と話していて、突然「太った?」と言われたら、
普段から、太らないようにしよう、太らないようにしよう、
と、自分で自分をバシバシやっていたことに気づく。
また、ちょっとした仕事のミスを指摘されモヤモヤしたら、
日頃から、ミスをするかもしれない自分に恐怖し、
ダメだ、ダメだ、をやっていないかを見てゆく。
別に、太らないために食事や運動に気をつけたり、
ミスをしないよう、緊張感を持って仕事をすることが
悪いと言っているのではなく、
あくまでも目的は心の裏側の罪悪感に気づくことにある。
そして、
この罪悪感が唯一にして最大の問題となっている。
〝太る〟という事がらに罪悪感を投影し、
〝太ったらだめだ〟と、自分で自分を攻めることで、
それを強化するような現実が外界に映し出される。
〝お金〟というに事がらに罪悪感を投影し、
〝もしもお金が無くなったらどうしよう〟と、
自分で自分を恐れさせることで、
それを強化するような欠乏の現実を映し出す。
要は、まるでヤクザの恐喝のように、
自分で自分を怯えさせ、痛めつけている。
そして、その恐怖を強化するために、
「ちゃんとせんかい。おんどりゃ、こんどりゃ。」
と、自分に言ったのと同じことを兄弟に言わせている。
👆 新しいコーヒーカップと抹茶あんぱん
以前、
声が気持ち悪い、と言われてヘコんだことがあったが、
これも普段から、お前の声は気持ち悪いから注意しろと
自分が自分に発していた言葉を他者に言わせることで、
本当に自分の声は気持ち悪いんだと信じ込ませる。
そういう意味で、
他者から発せられる〝自分が言われたくない〟一言は、
もうやめてくれ、これ以上イジメないでくれ、という、
もう一人の自分から発せられたメッセージなのだ。
当然だが、他人の言動から、
心の中で自分が自分にやっていることに気づいて、
それを赦してゆくと、他者からの攻撃は止まる。
というわけで、
他人を赦すことで自分を赦すとはこういうことだったのか
と、感慨を新たにする今日この頃である。