リビングのエアコンから水漏れがしているのだ。
ずっとではなく、忘れた頃にボタボタッ、と来る。
これが、詩人の伊藤整とかの手にかかると、
〝僕のエアコンが、悲しみの涙を流している…〟
みたいになるのだろうが、泣きたいのはこっちである。
二週間ほど前にも、同じような水漏れが発生し、
その時は、チョイ姐がいる間に修理屋の親方が来て、
入念にエアコンの中を洗ってくれた。
にもかかわらず、
また水が漏れ、今度はソファがびしょ濡れになった。
即行大家さんに電話をし、再度修理を手配してもらった。
クーラー等の設備は大家さんの所有となるため、
修理も全て大家さん持ちなのだ。
で、今日午後から修理屋さんが来るというので、
仕方なく、昼から有休を取り、大急ぎで家へ戻った。
修理屋さんが言うには、エアコン自体は正常で、
排水パイプのつまりもないとのこと。
前回水洗いした時の水がまだ残っていたらしく、
その水を抜く作業をしてもらった。
「本当の水漏れはこんなもんじゃないからね。
詰まってたら、もうダダ漏れなはずなんだよ。」
と、なぜか親方は人差し指を立て、自慢げに言った。
それだったら、前回、ちゃんと水を抜いといてくれよ!
ま、これで、まだ水漏れするようなら、もう抵抗はやめ、
扇風機で香港のあっつ―い夏を乗り切る覚悟である。
エアコンの修理が15分で済んでしまったので、
それから書斎にこもり、執筆をしたり、色々して過ごした。
なんか、だいぶ〝今に在る〟ことに慣れてきた。
神も、兄貴も、ハートも、天国も、平安も、愛も、
他のパラレルにも〝いま、この場所〟から入ってゆく。
僕の場合は、
〝自我も無い、世界も無い、罪も無い〟ってやるより、
〝神も、霊も、ハートも、愛も、全部ここにあった、
そして自分もまた、全部そのものだった!〟
ことに気づくことで、本当に無かったという理解が起こる。
うまく言えないけど…。