香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神だけやん!

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去年の夏、神が入った。

 

神を感じて、神だけやん状態になった。

 

ただただ、世界が神の想いで満たされていた。

 

その後、自分が神と同じ存在だった、と理解が起き

 

本当に〝神だけが在る〟ことを体感で智った。

 

 

だが、それでも、日常生活では、兄弟に対して、

 

怒りは出るし、緊張はするし、恐怖も感じる。

 

実際、強烈に、神が在る、を体感しているのに、

 

その一方で、モヤモヤしたり、腹が立つのは、

 

一体どういうことなのか、と不思議に思っていた。

 

 

でも、最近、それすらも神の想いだったんだ、と、

 

ようやく腑に落ちてわかってきた。

 

イライラ、ドキドキ、モヤモヤ、といった、

 

神への逆恨み状態もまた、神の愛を求める叫び、

 

つまり〝神の愛〟と同じ〝神への愛〟であった。

 

 

そのことに気づいて以来、びゅんびゅんを感じても

 

これは自我だ、とバシバシバッシングをせず、

 

抵抗を止めて、そこに在る神を受け入れていった。

 

すると、神への愛が、神の愛、と同じものだった、

 

と認識され始め、なあんだ、どっちも愛じゃん、

 

となり、それからは、誰とどんな話をしていても、

 

神と対話しているように知覚されてくるのだった。

 

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例えば (例えのネタがなくなってきたよう…)、

 

「山田さん、ご主人とうまくいってないらしいわよ」

 

「昨日行ったキャバクラのミユちゃん、激カワ…」

 

「あの人、いつも、ツンケンしていて、なんか苦手」

 

以前はこんな話を耳にしたり、口にしたりすると、

 

これは自我で、夢で、起こってもいないのに…、と、

 

そんな話をしている人を赦そうとしたり、

 

そんな話をしている自分に罪悪感を感じたり

 

していたが、いまでは、これも、神との対話である。

 

何ていうか、どんな人にもみんな神的な側面があり

 

その神の部分が自分の方へ炙りだされてくる。

 

ていうか、何を話していても、もう全ての人が、

 

〝完璧でカッコいい存在〟に感じてしまうのだ。

 

まあ、自分の中に在る神そのもので見れば、

 

たとえ、外側に怒りや緊張が顕れていたとしても、

 

それは愛を求める姿、すなわち愛だった、となり、

 

「自分はまだこんなことを感じてる」とはならない。

 

 

〝外の誰かが言っているあんなこと〟が、

 

神の声だったことに気づけば、世界は消滅する。

 

 

自分はこれまで、

 

起こってもいないことを、繰り返し空想することで

 

〝個の自分〟を存続させたかったんだな、

 

ということが、解かり始めた日曜の午後である。

 

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