👆 いまや、レストランのデリバリーは、
インド人が自転車に乗って行なうのが主流
財務の仕事は、月初の5日間が命、とばかりに、
5月の売上と、仕入れと、経費をまとめ、
銀行残高を確認して資金繰り表を作成する。
それに、うちの会社は6月が決算なので、
来期の予算も立てなければならない。
こうして一日中エクセルの関数表と格闘した結果
何とか5月の月次業務を終わらせることができた。
もう一週間分の運子ちゃんを一気に出した感じ!
これで、すっきりと、気分爽快で週末が過ごせる。
でもまあこのご時世、失業したり、収入が減ったり、
商売が立ち行かなくなったりする人も多い中、
自分は本当に恵まれている、と心底思うのだ。
だから、何はともあれ、この平安に感謝し、
日々愛の気持ちを以って過ごそうと思っている。
👆 毎週水曜日、ワイングラス片手に、
リビングから競馬を見るのが今の僕の楽しみ
何日か前の記事で、神が入った、と書いたが、
これって、神が入ったのではなく、
自分の中に、ずっといた神に気づいたんだ、
ということが解かった。
自分の内側の奥の奥に絶対的な神がいる。
それが自分そのものだったという体験が起こると、
強烈な愛と平安で満たされる。
そして、世界は無かったと本当に理解できる。
しかし、この絶対的な神に気づくには、
一瞬沈黙しなければならず、それはつまり、
この夢の現実と呼ばれる世界で、
静かで平安な心地よいシチュエーションを作る
必要がある、ということである。
なぜなら、
明日の支払いに汲々しているような経済状況で、
大きなプレッシャーの中で仕事をしている環境で、
また、介護や子育てでへとへとになっている中で、
内なる神にアプローチすることは不可能だからだ。
すでにそれを〝感じてしまっている〟状態で、
赦そう、神を感じる、解釈しない、起こってない、
とやっても無理なのだ。
究極まで破綻して、陰極まって陽になる、
みたいなことはあるかもしれないが、
普通、そこまで突き抜けてしまう人は稀だ。
なので、気持ちをゼロポイントに戻すために、
とりあえず、日常に平安を取り戻す努力をする。
例えば、お金が必要なら職種を選ばずに働くとか、
仕事がきつければ、思い切って長期休暇を取るとか、
疲れていたら、他人の助けを借りるとか、
実際にシチュエーションを変える行動を起こす。
以前の僕もそうだったが、コース兄弟は、
どうしても内側を観ることばかりを重視し、
現実を変えることを嫌がる傾向がある。
内側を観ることで神に気づいてゆくのは事実だが、
それは、ある程度心が癒されて初めて可能となる。
そういうわけで、現実がきつい状態にある人は、
とにもかくにも、日常生活の中で、具体的に、
ホッとできるスペースを作ることが先決だ。