👆 お気に入りの特製メロンパン
なんか、今週は疲れているのか、やたらと眠い。
それと、妙な胸騒ぎを覚え、何をしていても、
一日中、気持ちがソワソワと落ち着かないのだ。
緊張感とか不安感とかではなく、
虫の知らせ的に、胸が騒ぐ感じ。
夏至が近いからかなあ、とも思ったが、
そういうのとも関係がないような気がする。
何だろう、この胸騒ぎ。何か起こるのかなあ。
こ、こわいよー!
👆 今日のランチ。メロンパンのチキンバーガー
以前、自分を攻めることを徹底して止めたら、
みるみる世界が優しくなった、と書いたが、最近、
自分を攻撃したり、自分を恥じる気持ちの根底には
〝依存〟があったことに気づいた。
僕は会社員なので、当然、会社に依存している。
特に僕は海外駐在員でもあり、給料の他にも、
海外傷害保険、医療費、ケータイなどの通信費、
香港のアパートの家賃や、年二回の里帰り休暇と
航空券、など、多くの福利を享受している。
その代わり、
上司や社長からの合理的な指示には必ず従い、
それなりの結果を出さねばならない。
しかし、ちょっとしたミスをしたりして、
会社からのオーダーに答えられなかった時、
ちゃんとできなかった自分を責めてしまったりする。
そして、その根底には、
会社に依存することで享受している様々な、
〝自分を幸せにするもの〟が失われることへの
恐怖が隠されている。
ペットに依存している人であれば、
ペットが死んだのは自分のせいだ、と責めたり、
お酒に依存している人であれば、
お酒を飲む自分を責めていたりする。
また、何かのスピマスターに依存している人なら、
その通りにできない自分を無意識に責めてしまう。
どうやら、
依存👉喪失への恐れ👉罪悪感👉自分責め
という構図になっているようだ。
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しかし、肉体を持って社会生活を営んでいる以上、
僕たちは必ず何かに依存をして生きている。
何の依存もせずに生きるなんて不可能だろう。
なので、依存を止める、というのではなく、
心の中の依存に気づいて、それを責めない、
すなわち、赦すということが大切だ、と思うのだ。
そして、なにより、
◯◯に依存している、という、その◯◯が、
本当は何だったのかに気づくこと、
それが決定的に大切だと思う次第である。
ああ、また、胸がざわざわしてきた。