今日は、トレーナーとの筋トレセッションの後、
ブックカバーにする赤い画用紙が欲しくて、
ノースポイントまで出かけていった。
ノースポイントは以前にも何度か紹介した、
あの60年代レトロ百貨店があるエリアで、
画材店でお目当ての画用紙を買ったあと
ちょっと覗いてみた。
ええっ!全改装、総ざらえセール、とある。
改装と言っているが、多分閉店だと思う。
だって、お客なんてほとんどいないし、
こんなのいったい誰が買うんだ、
というもの〝しか〟売ってない。(笑)
でも僕は、
この百貨店のさびれた雰囲気が大好きで、
ヒマがあれば、ブラブラしていた。
またひとつ、古き良き香港が無くなってゆく。
記念に毛沢東主席のミニカップを買った。
百貨店を出て、通りを歩いていると、
精進料理のテイクアウトの店があった。
豆腐で作った叉焼や胡桃で作ったチキンなど
いろいろあって面白い。
なぜか小さな月餅に惹かれ、三個買った。
なんかもう最近、
今、この瞬間に在ることに自信が出て来た。
今、この瞬間に見えている人や風景、
今、この瞬間に出ている歓びや怒りの感情、
こういう事やってみたい、ああなったらいいな
という将来への希望、また過去の思い出など
まるで、サファリのタブのように、
今の空間に全てが重叠しているように見える。
そして、
今、一番前方に見えているタブを赦せば
(そこに神を認識すれば/または見過せば)、
後ろに重なっているそれに関連した全タブが
パ、パ、パ、パーンッ、と消去されてゆく。
だから、僕は、今、この瞬間に浮かんでくる
〝何でか分からないけど〟を大切にしている。
毛沢東のカップを見て、何でか分からないけど
欲しいな、と思ったら買ってみる。
この景色、何でか分からないけど、いいな、
と思ったら、少々面倒でも写真に収める。
この月餅、何でか分からないけど、かわいい、
皿に並べてみたいな、と思ったらそうする。
毛沢東のカップなんて何に使うんだ…、
この景色、別に普通じゃん…、
月餅なんてそんな甘いの食べないし…、
と思いながらも、それでも実際やってみて、
やっぱり何の意味も無かった、それどころか、
もっとエラい目に遭った、となっても構わない。
月餅やっぱり食べずに捨てた、でもいいのだ。
(おいしかったので全部食べたけど…)
要するに、
その裏で何が動いているか、真の意味は何か
本当はどういうカラクリで起こっているのか
何でこんな思いが湧いてきているのか、
どんな意図で兄貴がこんな事をしているのか、
なんて、個の自分には一切、全く、少しも、
解らないことだからだ。
こうして、
後付けの解釈を外す訓練をしてゆくことで、