2020-07-08 巨大な大丈夫 香港 今日、会社の昼休みに、弁当を食べながら、 たまたまYOUTUBEに出ていたスピ動画で 自分で自分の額を指さし、 そこに誰がいるかを問うという、 べタなワークをやっていたので、 自分も何気なくやってみた。 よく〝悟り系〟のワークショップなどで、 これは手です、これは胸です、じゃあこれは と人差し指で自分の額を指さしながら、 自分がとこにいるかを問答するアレだ。 で、自分の人差指の先っちょを凝視しながら 肉体を突き抜け、更に奥の奥を探ってゆくと え? あれ? いない…。自分がいない。 ただ思いが湧いているだけで、 個の私という存在がどこにも見当たらない。 本当に、何かを思っている主体がない。 「へえ、自分がいないなんて、おもしろい」 と思っている〝誰か〟はおらず、 ただ、それが泡のように出ているだけ…。 うわっ、よりによって弁当を食べてる時に、 こんなベタな方法で、ガガーンと来るなんて、 単純すぎて、なんか、笑いそうになる。 昼食後、 事務所の明かりを消し昼寝をした。 デスクチェアの背もたれを倒して腰かけ、 並べた丸椅子の上へ両足を載せて、 キャセイからペチッてきたブランケットを かぶりながら、目を閉じた。 みぞおちにハートが上がってきた。 それに抵抗せずにいると、何かが復帰して くる感じがして、バコン、と兄貴が入ってきた。 うまく説明できないけれど、 個としての意識ではなく、全体になったような 〝ひとつの心〟と一体になったような、 巨大な大丈夫感に凌駕された。 午後は、この大丈夫感の中で仕事をした。 これは神を感じている時の見え方なのだが、 世界がアートのように秩序立って見える。 blog.hoshitani-shusaku.com blog.hoshitani-shusaku.com 僕はまだまだ、24時間全くブレずに、 〝ここ〟にいられるわけではないが、 今(神)への抵抗が取れれば取れるほど、 確実に兄貴に取って替わられて行っている。 湧き上がる想いのシュワシュワはやがて、 ハートの愛のシュワシュワだけになる。