今日も在宅勤務である。
AirPodsのイヤホンをワイシャツのポケットに入れ、
そのままうっかり洗濯してしまい、使えなくなった。
それで、夕方遅く、近くのAPPLEショップまで、
散歩がてら、新しいのを買いに行った。
新型のAirPods Proは、旧型よりノイズが入らず、
曲送りや音量調整もスムーズなんだって。
それに電話の時に自分の声も聞こえるので、
大声になって周囲のヒンシュクを買うこともない。
昨日の記事でも書いた通り、
ただ愛だけを放っていよう、
愛と慈しみを以って人や物に相(あい)対していこう
もう絶対に、愛でしか存在したくない、
眼前の兄弟を愛として見れないのだったら、
死んだ方がマシだ、くらいの強烈な思いが湧いてきて
それで今日も、その想いのまま、通りを歩いていた。
パン屋に残っているパサパサっぽいロールパン、
道端で扇風機を売ってるおじさん、
APPLEショップの親切な店員さん、
いつロックダウンになってもいいように、
スーパーで、
信じられない量の食料品を爆買いしている主婦、
愛を放つ眼差しを通して見ると、全てが愛おしい。
結局、人や物の中に愛を見ているのではなく、
おおもとは自分、自分の中に在る不変の愛の想いを
兄弟や物に投影して見ているんだ。
愛で存在していること、きっと、これが
J兄貴と同じ眼差しを持つ、ということなんだ。
そして、愛の存在でいるとは、
神の気配に気づいている、ということでもある。
椅子が存在していることに気づいている、
近所の佐藤さんがあそこにいると気づいている、
しかし、本当は神の気配に気づいているんだ。
常にそこに流れている神の気配によって、
椅子や佐藤さんが存在しているように見えている。
なので、パソコンは無い、佐藤さんは存在しない、
というのではなく、本当は神の気配を、
物や人に感じて、その存在を見ていたことに気づく。
日本でも新型コロナ感染者が増加しているらしい。
東京都コロナ収束 👉 都職員が百合子を胴上げ
👉 そのときのパンチラを文春がスクープ
と、こんな日がいつか来るのだろうか。
おうち大好きな僕としては、
家から一歩も出ない日がまだまだ続く、
と思っただけでウキウキしてしまうが、
明日はチョイ姐が掃除と洗濯に来るので、
4時間ほど家を空けなければならない。
ロックダウン寸前の香港で、
いったいどこへ行けばいいんだ?