香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

望み、叶え、給え

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👆 今日の昼食は羽根つき餃子

  (冷凍焼くだけ。)

 

僕たちは、いつも、常に、何かを望んでいる。

 

僕で言えば、

 

 

小説『ジンジャー・タウン』を出版したい。

 

今までの人生で会ったことのない人に出会いたい。

 

南フランスの田舎ハウスに1年ほどお籠りしたい。

 

残りの一生を余生のように暮らしていきたい。

 

 

または、

 

もう二度とこの夢の世界に戻って来たくない。

 

ハートのエクスタシーだけを24時間感じていたい、

 

神の中でずっと歓びのうちに在りたい。

 

 

といった風に、

 

食べたり、眠ったり、排せつするのと同じ様に、

 

本能と言ってもいいほどの勢いで望んでいる。

 

 

昇進、新車、マイホーム、若さ、最高の結婚相手、

 

1000万円あれば幸せ、セックスしたい、など、

 

世俗的な望みだけではなく、

 

神の中で安堵していたい、赦そう、赦したい、

 

という意欲もまた、一種の望みである。

 

まあ、人によって望みは様々だが、

 

中には、世俗的な望みを口にすることに、

 

後ろめたさとか、罪悪感を感じる人もいる。

 

 

特に、コース兄弟は、

 

例えば、1000万円ほしいーっ、と望むことが、

 

夢の世界を実在化させているようで、

 

自我を強化し、神を否定しているようで、

 

無意識に後ろめたさを感じてしまったりする。

 

 

しかし、物や形態を望んでいるように見えて、

 

本当は、その裏に在る、不変の何かを望んでいる。

 

1000万円を手にすることで得られる永遠の何か、

 

地位でも、健康でも、お金でもない、何か…。

 

それに気づいていれば、1000万円を望むことは

 

神を望んでいることと同じだと解かる。

 

1000万円に後ろめたさを感じていたのではなく、

 

本当は、神に後ろめたさを感じていたのだ。

 

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全ての望みは神に繋がっている。

 

望んでいたものが手に入った時に感じるであろう

 

満たされた感じ、エクスタシー、至福感、やすらぎ。

 

それが〝神が在る感じ〟である。

 

1000万円が欲しい、と望むことを通して、

 

実は、それを得た時に感じる、

 

〝神が在る安堵感〟を望んでいる。

 

 

その〝神が在る感じ〟は、ずっとここに在るので、

 

別に望みが叶っても叶わなくても、どっちでもいい。

 

うまくいく、いかない、に関係なく、

 

ただ、望んだ時に感じる、〝幸せな感じ〟

 

〝歓び〟だけを、大切にしていればいい。

 

そうすることで、世俗的な望みの裏にある、

 

本当の望みが見えてくる、と思うのだ。