2020-08-14 本当の強さ 香港 僕も今、お盆休み真っ最中、なのだ。 でも、昨日、今日、とずっと家にいるのだ。 それで、お盆だからという訳でもないのだが ご先祖様に思いを馳せている。 僕の父方の祖母は、僕が大学生の時に、 86歳でこの世を去ったのだが、今思えば、 この祖母はすごい人だったな、と思うのだ。 彼女は、とにかく祖父に絶対服従の人で、 祖父が、お膳をひっくり返そうが、 外で女を作り、子供を生ませようが、 一言も文句を言わない人だった。 里帰りも、するな、と言われればしないし、 歯の治療もせず、悪くなれば抜いてしまい、 最後は歯茎だけで、肉を噛んでいた。 高校から大学にかけての数年間、 僕ら一家は祖父母と同居していたのだが、 嫁(僕の母)に気を使いながら台所を使い、 お風呂も一番最後に入っていた。 一体彼女は何が楽しくて生きているのだろう これではまるで奴隷ではないか、と、 当時の僕はそう思いながらも、 そんな祖母にお小遣いをせびっては、 夜の街で遊びまくっていた。 (👆 サイテーッ!) しかし、それは違うのだ、と、 今の僕ならはっきり分かる。 彼女は、祖父に対する恐れから そのように振舞っていたのではなく、 彼女は、 私はこの人の嫁になったのだから、 何があっても、この人に従って生きてゆく、 と、力強く〝自分〟で決めていたのだ。 ちゃんと覚悟を以って、腹を決めて、 どんなことがあっても、何も言わず、 彼女はその覚悟を貫き通した。 だから、彼女は奴隷ではないと断言できる。 その証拠に、 彼女はどんな時でも痛快に笑っていて、 オドオドした様子は微塵もなかった。 「私はこれでやっていく、と、 自分で決めてこうしているんだ」 という、凛とした強さに基づく潔さがあった。 そして、ああ、こういうことなのか、と思った。 例えば、 いつも嫌味ばかり言ってくる上司だけど、 自分はこの職場でやっていくと決めた、 だから何を言われても受け流すんだ、 と決断してやることで、奴隷ではなくなる。 また、周囲の目を気にして、 言いたいことを言えないのであれば、 周りを気にしてビクビクするのではなく、 今この状況を平穏にやり過ごすために、 私は言いたいことを言わないと決めたんだ、 と、 腹を据えて自分のスタンスを肯定してやる。 するとその決断が力を放ち、その瞬間から、 人生の主人公は自分となる。 他人に合わせて行動していても、 怖いから従っているのと、 そう決断してやっているのとでは、 全然違うと思うのだ。 先日、モヤモヤが上がってくるのであれば とりあえず相手に言えばいいじゃん、 というような記事を書いたが、 どうしても怖くて言えない人は、まず、 「いいよ、わたしはこのスタンスで行く」 と、力強く自分に宣言してやる。 そうすることで、ちょっと心が楽になる。 これって自分にとても優しい行為だと思う。 赦しとか、世界は無いとか、神は在る、 ナンちゃらの前に、何よりも大切なのは、 絶対に絶対に自分を責めないことである。 自分が自分の味方になってやることである。 自分という個なんて無いんです、 とか、そんなことどうでもいい。 自分を責めてる時点でそこまでいってない。 第一、 自分を責めてる時点で、神を責めている。 そんな状態で、世界は無いとか、 言ってる場合ではないではないか。 僕を例に取れば、 明日の会議で何か言われたらどうしよう、 このトラブルをどうやって解決しよう、 と思った時、 「いいよ別に。 最悪、会社辞めればいいんだから」 と自分に言ってやる。 これはあくまで頭の中だけでやっているのだが、 要するに、自分に優しくしてやらないで、 一体、誰が自分に優しくしてやれるのか、 という話である。 それに何より、自分に対して失礼ではないか。 そして、自分責めがなくなれば、 人からも責められなくなる。 とまあそんな感じで、 色々思いを馳せるお盆の夜であった。 blog.hoshitani-shusaku.com blog.hoshitani-shusaku.com