香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

本当の強さ

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僕も今、お盆休み真っ最中、なのだ。

 

でも、昨日、今日、とずっと家にいるのだ。

 

それで、お盆だからという訳でもないのだが

 

ご先祖様に思いを馳せている。

 

 

僕の父方の祖母は、僕が大学生の時に、

 

86歳でこの世を去ったのだが、今思えば、

 

この祖母はすごい人だったな、と思うのだ。

 

 

彼女は、とにかく祖父に絶対服従の人で、

 

祖父が、お膳をひっくり返そうが、

 

外で女を作り、子供を生ませようが、

 

一言も文句を言わない人だった。

 

里帰りも、するな、と言われればしないし、

 

歯の治療もせず、悪くなれば抜いてしまい、

 

最後は歯茎だけで、肉を噛んでいた。

 

 

高校から大学にかけての数年間、

 

僕ら一家は祖父母と同居していたのだが、

 

嫁(僕の母)に気を使いながら台所を使い、

 

お風呂も一番最後に入っていた。

 

一体彼女は何が楽しくて生きているのだろう

 

これではまるで奴隷ではないか、と、

 

当時の僕はそう思いながらも、

 

そんな祖母にお小遣いをせびっては、

 

夜の街で遊びまくっていた。

(👆 サイテーッ!)

 

 

しかし、それは違うのだ、と、

 

今の僕ならはっきり分かる。

 

彼女は、祖父に対する恐れから

 

そのように振舞っていたのではなく、

 

彼女は、

 

私はこの人の嫁になったのだから、

 

何があっても、この人に従って生きてゆく、

 

と、力強く〝自分〟で決めていたのだ。

 

ちゃんと覚悟を以って、腹を決めて、

 

どんなことがあっても、何も言わず、

 

彼女はその覚悟を貫き通した。

 

だから、彼女は奴隷ではないと断言できる。

 

 

その証拠に、

 

彼女はどんな時でも痛快に笑っていて、

 

オドオドした様子は微塵もなかった。

 

「私はこれでやっていく、と、

 

 自分で決めてこうしているんだ」

 

という、凛とした強さに基づく潔さがあった。

 

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そして、ああ、こういうことなのか、と思った。

 

例えば、

 

いつも嫌味ばかり言ってくる上司だけど、

 

自分はこの職場でやっていくと決めた、

 

だから何を言われても受け流すんだ、

 

と決断してやることで、奴隷ではなくなる。

 

 

また、周囲の目を気にして、

 

言いたいことを言えないのであれば、

 

周りを気にしてビクビクするのではなく、

 

今この状況を平穏にやり過ごすために、

 

私は言いたいことを言わないと決めたんだ、

 

と、

 

腹を据えて自分のスタンスを肯定してやる。

 

するとその決断が力を放ち、その瞬間から、

 

人生の主人公は自分となる。

 

 

他人に合わせて行動していても、

 

怖いから従っているのと、 

 

そう決断してやっているのとでは、

 

全然違うと思うのだ。

 

 

先日、モヤモヤが上がってくるのであれば

 

とりあえず相手に言えばいいじゃん、

 

というような記事を書いたが、

 

どうしても怖くて言えない人は、まず、

 

「いいよ、わたしはこのスタンスで行く」

 

と、力強く自分に宣言してやる。

 

そうすることで、ちょっと心が楽になる。

 

これって自分にとても優しい行為だと思う。

 

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赦しとか、世界は無いとか、神は在る、

 

ナンちゃらの前に、何よりも大切なのは、

 

絶対に絶対に自分を責めないことである。

 

自分が自分の味方になってやることである。

 

自分という個なんて無いんです、

 

とか、そんなことどうでもいい。

 

自分を責めてる時点でそこまでいってない。

 

第一、

 

自分を責めてる時点で、神を責めている。

 

そんな状態で、世界は無いとか、

 

言ってる場合ではないではないか。

 

 

僕を例に取れば、

 

明日の会議で何か言われたらどうしよう、

 

このトラブルをどうやって解決しよう、

 

と思った時、

 

「いいよ別に。

 

 最悪、会社辞めればいいんだから」

 

と自分に言ってやる。

 

これはあくまで頭の中だけでやっているのだが、

 

要するに、自分に優しくしてやらないで、

 

一体、誰が自分に優しくしてやれるのか、

 

という話である。

 

それに何より、自分に対して失礼ではないか。

 

 

そして、自分責めがなくなれば、

 

人からも責められなくなる。

 

  

とまあそんな感じで、

 

色々思いを馳せるお盆の夜であった。

 

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