昔の角川映画『Wの悲劇』の中で、
三田佳子が薬師丸ひろ子の手の甲を、
パンパンパンと叩きながら、
「女優!女優!女優!」と言ったように、
僕も自分のホッペを叩きながら
「貯金!貯金!貯金!」
と言いきかせている今日この頃である。
一切れ700円のチーズケーキは買わない、
ブルックスブラザースの前は避けて通る、
ドンキ・ホーテでは3000円以上買わない、
など、色々対策は練っているが、
なかなか100のワクワクが抜けない。(笑)
それでも、チョイ姐がいなくなったので、
そのお給料の分を貯金に回せるのだ。
まあこんな感じで、コロナ収束後から始まる
新たな人生へ向け、準備を進めている。
(👆 いや、進んでないやろ by 兄貴)
あ、角川と言えば、ずっと昔、僕は、
角川書店香港支社で人事部長をしていた。
当時の角川香港では、
『香港ウォーカー』という雑誌を発行していて
編集部の人たちはみな超個性派ぞろい、
各人にそれぞれのスタイルがあり、
人事部長として苦労したのを覚えている。
というわけで、
最近自分は、何をも恐れていない。
他人の言動、仕事のトラブル、将来、など、
全くと言っていいほど恐れていない。
恐れない、とか、恐れないようにする、
ではなく〝恐れていない〟のだ。
どういうことかというと、
明日、出るのがイヤな会議があれば、
イヤだな、という想いは湧いてくるし、
何か業務上のトラブルが起これば、
ドキドキしながら、どう対処しようか、と、
いろいろ画策もする。
また、ここ最近折に触れて書いているように
これまでの生活スタイルを捨て、
新しい何かを始めようとする際には、
未知なる世界の不安感で怖くなったりする。
しかし、それでも〝恐れていない〟。
怖さを恐れていない、というか、
〝怖い〟けれど〝恐れて〟はいないのだ。
突然車が来たら、ひょっと避けるのと同様、
本能的反応、くらいに捉えている。
これはやはり、背後にある後ろ側の世界
(僕は内側の世界のことをこう呼んでいる)
の方が完全にリアルになってしまったことが
大きく影響しているように思う。
前方の肉体同士でのやり取りを、
まったく信用しなくなったのだ。
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真のコミュニケーションは、
背後を通じて、背後同士で行なわれ、
よって集中するべきは、自分の内側であり
内側の愛に気づき、
自分はその愛そのものだったことを知る。
そして何よりも大切なのは、先ず率先して、
自分の内面を愛してやることによって、
内面が神の愛で満たされ、
やがて、その愛が背後の筒を通って、
スクリーンの裏側から反映されてくる。
その目的は、神が反映されることで、
現実が良くなることではなく、
現実が良くなることで、
神の気配を知り、神に気づくことにある。
そして、その気づいたものの正体こそが、
真の自己だった。