筋肉痛は、昨日よりだいぶマシになった。
それでも、
筋肉痛が来るのは、成果が出ている証拠なので、
嬉しいことは嬉しいが、今回のはチト辛すぎる。
トレーナーにそのことをLINEで伝えると、
年齢を重ねると回復も遅くなるのだと言われた。
きいいーっ!エゴの囁きなんか、信じないぞっ!
いま〝背後で生きている〟ことがとても心地よい。
もちろん、起こるべきことは起こってくるけれど、
それに反応している自分も含めて、
それら自我のささやきを、相手にしなくなっている。
というのも、昨日の夜、眠りに落ちる寸前、
背後で神の流れそのものでいたとき、突然、
ふっ、と、誰かの一言を思い出し、そこから、
来週の仕事の段取りへと思考が発展していった。
エゴがささやいている、と思った。
次の瞬間、
「もう、そんなん要らんねん。うざい。消えろ」
とエゴに向かって、反射的にかなり強く叫んでいた。
ささやきがピタッと止まり、頭の中が静かになった。
と、次に、エゴに対するナゾの罪悪感が出て来た。
エゴを咎めてしまった、という罪悪感…。ナゾだ。
しかし、すぐに、
背後に広がる神の優しい愛の流れを思い出した。
ああ、自分はありもしないものを信じている。
「僕はもう、兄貴しか絶対に信じないっ!」
と宣言し、それから、再度、背後へと戻っていった。
それで、今日もオフィスで仕事をしていると、
コンババ部長から電話がかかってきて、
細かい経理上の事について訊かれた。
電話を切ると、もう一人の日本人が僕に向かって、
「星谷さんもいろいろ大変ですねえ」と言ってきた。
別に大変な内容の電話ではなかったのだが、
〝勝手な解釈で〟同情されたことにイラっと来た。
しかし、このときも即座に、エゴに向かって、
「はい。もう、ウソは信じません。」と言い放ち、
再び、背後の愛の歓びの中へと入っていった。
このように、
背後の神の歓びの流れの中に在るからと言って、
何も起こらなくなるわけではない。
しかし、子供がつくウソと同じくらい容易に、
それがでっち上げで、起こっていないと分かるので、
その都度、宣言して神へと戻っている。
そしてそれが、いまの僕の赦し、となっている。