2020-09-17 神の真ん中 香港 週の真ん中水曜日、真ん中もっこりっ…! (夕やけ、ニャンニャン!と言ったあなた、 同年代です) というわけで、何だか気だるい水曜日。 来週月曜日の敬老の日は、 香港勤務の僕も強制有休消化日となるため 今週もまた三連休なのだ。 で、またどこか香港内小旅行にでも行くか と、例のカリスマブロガーの記事を、 あれこれ検索中のボクである。 背後の〝無限の全体〟側で存在し始めると 〝今、この瞬間〟に対する在り方も、 次第に変化してくる。 これまで、今に在る、と言えば、 今、この瞬間に在る平安に留まる、 という感じで、例えば、 明日の会議で発表するの嫌だなあ、 という思いが出てきた瞬間、即座に意識を、 今、この瞬間に〝戻そう〟としていたが、 常に背後にある無限の存在が真の自分だ、 と、そっちしか信じなくなった今では、 感じていることと闘うのではなく、 嫌だなあという思いも、だ優しい気持ちで 見つめていられるようになった。 表現が難しいのだが、 これからどうなるんだろう、という不安や、 大変な事になったらどうしよう、という心配、 明日、苦手なあの人に会わねばならない、 という憂鬱感なども、 今、この瞬間に在る愛おしいものとして 感覚化されてくる。 要するに、何が出てきても〝愛〟なのだ。 そうなると、 不安や心配や憂鬱がないから平安だ、 ではなく、どんな状態でも恐れなくなる。 blog.hoshitani-shusaku.com だから、 「私、またこんなことを思ってしまった」 「私、また今(神)から離れてしまった」 「私、またエゴのささやきを信じている」 などと思う必要など全くない。 何を思ったって、何を考えたって、 自分は変わらず愛の存在だったんだ。 まあ、僕はそんな感じでやっているのだが、 自分の事を愛やん、神やん、と思えれば、 奇跡講座であろうと、引き寄せであろうと、 プロセスは何だっていいのだ、 と思う今日この頃の僕である。