香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神の真ん中

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週の真ん中水曜日、真ん中もっこりっ…!

 

(夕やけ、ニャンニャン!と言ったあなた、

 

  同年代です)

 

 

というわけで、何だか気だるい水曜日。

 

来週月曜日の敬老の日は、

 

香港勤務の僕も強制有休消化日となるため

 

今週もまた三連休なのだ。

 

で、またどこか香港内小旅行にでも行くか

 

と、例のカリスマブロガーの記事を、

 

あれこれ検索中のボクである。

 

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背後の〝無限の全体〟側で存在し始めると

 

〝今、この瞬間〟に対する在り方も、

 

次第に変化してくる。

 

 

これまで、今に在る、と言えば、

 

今、この瞬間に在る平安に留まる、

 

という感じで、例えば、

 

明日の会議で発表するの嫌だなあ、

 

という思いが出てきた瞬間、即座に意識を、

 

今、この瞬間に〝戻そう〟としていたが、

 

常に背後にある無限の存在が真の自分だ、

 

と、そっちしか信じなくなった今では、

 

感じていることと闘うのではなく、

 

嫌だなあという思いも、だ優しい気持ちで

 

見つめていられるようになった。

 

表現が難しいのだが、

 

これからどうなるんだろう、という不安や、

 

大変な事になったらどうしよう、という心配、

 

明日、苦手なあの人に会わねばならない、

 

という憂鬱感なども、

 

今、この瞬間に在る愛おしいものとして

 

感覚化されてくる。

 

要するに、何が出てきても〝愛〟なのだ。

 

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そうなると、

 

不安や心配や憂鬱がないから平安だ、

 

ではなく、どんな状態でも恐れなくなる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

だから、

 

「私、またこんなことを思ってしまった」

 

「私、また今(神)から離れてしまった」

 

「私、またエゴのささやきを信じている」

 

などと思う必要など全くない。

 

何を思ったって、何を考えたって、

 

自分は変わらず愛の存在だったんだ。

 

 

 

まあ、僕はそんな感じでやっているのだが、

 

自分の事を愛やん、神やん、と思えれば、

 

奇跡講座であろうと、引き寄せであろうと、

 

プロセスは何だっていいのだ、

 

と思う今日この頃の僕である。