自分の本質はスピリットである神の子であり、
完璧に安全で、無条件に愛され、
全てが受け入れられている無限の存在である、
という自覚が深まるにつれ、
もう、無限の自己(神と同じ存在である自己)
以外では存在できなくなってきている。
それは、僕にとって、
背後の無限の空間(天国/愛の中心/ハート)
だけで存在することを意味している。
天国や〝我が家〟は特定の場所ではなく、
存在の在り方そのものだったのだ。
なので、今この瞬間、
自分はすでに我が家へ帰っており、
優しい父も、頼れる兄貴も、
決して離れることなく、
自分の背後をついてくる。
この、常に父や兄と一緒にいるという感覚が、
僕に心からの安心感を与え、愛の流れの中で、
自分の完全さを思い出させてくれる。
最初は、瞑想の時だけ垣間見れていた世界が
今ではもう、
〝そっち〟こそが真の現実となった。
例えば、
あの人があんなこと言ってるぞ、とか、
みんなの前で恥かいて、傷ついたやろ、とか、
ほら、過去に言われたあの一言を思い出せ、
と、全力でシュワシュワ上がってくる
エゴのささやきさえももう信じることはない。
なぜなら、背後の無限の存在である自分が、
そんな事など思うはずはないので、
それは全部エゴのウソだと看破できてしまう。
そうすると、やがて、
前方に見えている〝わたしのスクリーン〟が、
優しい映像に置き換えられてゆく。
それは起きている出来事とは一切関係がなく、
エゴが、最悪だと解釈するような事を見ても、
やっぱり、愛でしかなく、優しい。
自分が素晴らしい愛の存在だ、と、
自分で自分を認められるようになってくると、
夢の現実においては、自分を真の存在として、
大切に扱えるようになる。
良い感じのするものに注意を払うようになり、
背後に流れる大きな歓び(愛)の流れに
身を任せて動くようになる。
そして、愛以外のささやきには、
はっきりと、ノー、と言える。
そうやって今の自分の見え方を整理しながら、
ぼんやり佇む、雨降る土曜の午後であった。