自我のささやき(またはつぶやき)というのは、
最終的にはすべて、愛がほしい、という叫び
でしかないのではないか、と思い始めている。
「これ、早くやっとかなきゃまた何か言われる」
「うわっ、間に合わない、ヤバい」
「なんで、いつもあんなことを言ってくるんだろう」
「あーあ、またやっちゃった、何してるんだ」
自分の心の中に四六時中湧き上がってくる
ジガオのつぶやき…。
これって全て「愛してほしいぃーっ!」の一言を、
色々なバージョンで言っているだけな気がする。
なので、自分や他人へのツッコミが出てきた時、
それは、愛してほしい、と言っているのだから、
「よっしゃ、じゃあ、愛してやるよ」
と心の中で返すようにしている。
ジガ男はただ、耳元でささやいているだけで、
実際に存在しているわけでもなければ、
自分の考えでもない。
なので、愛してほしい、が満たされさえすれば、
勝手に消えてゆく。
まあ、赦し方は人によって様々だと思うのだが、
僕の場合は、罪悪感やエゴを直視するより、
愛に気づいていることにフォーカスすることで
自我に向き合う方が、自分に合っている。
なぜなら、
神が愛の歌しか歌わないのであれば、
神へと帰ってゆこうとしている僕たちも、
そうでなければおかしいし、当然それは、
消えゆく自我に対しても同じだと思うからだ。
というわけで、月中から、月末にかけては、
比較的仕事が落ち着いているため、今日は、
そういった、小さなジガ男のささやきに気づき、
愛で返していく、ことをやっていった。
昼の弁当はたんぱく質を摂らないとだめだ、とか
これはオレがやる仕事じゃないだろ、とか、
ああっ、コップにヒビが入っちゃった、とか…。
そのたびに「俺は愛する」と、
心の中で宣言し返す。
ただそれだけなのだが、やってみると、
ささやきの裏に隠れている〝愛してくれ〟が、
〝愛されている〟へと変換され、次第に、
みんな愛の歌しか歌っていなかったんだあ、
となる。
そんな感じで、
徹底的に内側だけに特化した
毎日を送っているボクである。
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