香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

役を降りた俳優

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👆 大澳の店先で泳いでいた魚。

  なんていう名前なんだろう。

  シーラカンスみたい。

 

〝今、この瞬間に開いて、抵抗せず、

 

 今、起こっていることを許容し、

 

    ただ神の流れに任せる〟

 

 

昨日も書いたが、

 

連休は会社の業務に邪魔されないので、

 

神側へ没入して過ごしやすいせいか、

 

あらゆる事に〝全肯定〟ができるようになる。

 

背後側ではすでに一体である兄弟たちが、

 

完璧な愛の存在として認識されてくるので、

 

肉体としての誰かが何か変なことをしていても

 

「本物じゃないこの人に何の問題が?」

 

というふうに捉えられてしまうのだ。

 

 

引っ込み思案でウジウジしている人を見ても、

 

オレが、オレが、的な人を目の当たりにしても

 

裏でこそこそ何か言っている人が現れても、

 

「ああ、それぜんぶオーケー、何も悪くない、

 

    本当のあなたとは別物だし…」

 

と完全に解かっている感覚なのである。

 

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ただ、誤解を避けるために言っておくならば、

 

この全肯定感は、

 

何かをしている誰かなんていないんです、とか、

 

全ては幻想で世界なんて無いんです、といった、

 

〝無い〟からくる言い聞かせ的なものではなく、

 

〝本当の彼ら〟が自分の内側に在ることを

 

知っているからこそ肉体の彼らも愛おしい、

 

という愛の感覚から来ている。

 

 

しかし、できるかどうかは別として、

 

神を全肯定しよう、兄弟を全肯定するのだ、

 

と言えば、そうですねとすんなり頷くのに、

 

自分を全肯定、と言われると、

 

なかなか受け容れられない人が多い。

 

しかし、

 

完璧な愛である兄弟は、外側ではなく、

 

自分の内側(背後側)に存在しているので、

 

自分を全肯定することで初めて、

 

真実の他者を全肯定することができる。

 

逆に言えば、

 

自分の内なる愛を肯定できないのに、

 

兄弟を愛で観ることなどできる訳がない。

 

 

例えば、僕の眼前で肉体の兄弟たちが、

 

理不尽だと思えるようなことを言っても、

 

僕は即座に背後の無限の全体へ戻り、

 

そこにいる完璧な愛である彼らを観る。

 

彼らはまるで、役を降りた俳優さんのように、

 

優しくて、穏やかで、愛そのものだ。

 

2時間ドラマで、人を殺したり、騙したり、

 

崖の上で、船越英一郎相手に、

 

熱演を振るっている悪役の役者さんたちも、

 

役を降りれば普通にいい人だった、みたいな…。

 

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要するに、

 

前側で起こっている事は全部〝ウソ〟なのだ。

 

そして、前側がウソだと理解するには先ず、

 

後ろ側をリアルにすることが大切だと気づいた。

 

 

とまあ、

 

こんな感じで〝泣き〟も落ち着いてき

 

連休最終日のボクであった。

 

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