👆 突如家の近くにオープンした
焼き豚専門店。毎日行列ができている
僕の場合、マントラを唱えたり、
言葉を唱えて祈るのがあまり得意ではない。
有り難うございます、を繰り返したり、
聖霊、この間違った考えを訂正してください、
と言葉で語りかけても、思考が先行してしまい、
体感(神の感じ)が湧いてこないのだ。
それよりも、
ありがたいなあー、大好きーっ、うれしいなあ、
という〝感じ〟や〝想い〟を味わうほうが、
神を感じて、実相世界へと入りやすい。
誰でも必ず、
ありがとう、という感謝の念が湧き上がったり、
好きで好きでたまらない、と感じたり、
平和だなあ、と感じた経験はあるはずであり、
その時の〝感じ〟を心で体感することで、
ハートの歓びの流れへの〝呼び水〟とする。
そのときに起こった〝幸せな出来事〟
にフォーカスするのではなく、
あくまでも〝感じ〟だけに焦点をあわせる。
感じることができてさえいればOKなので、
〝よい出来事〟が起きる必要はない。
最近では、その〝愛の感じ〟が、
素粒子として見えたりするので、空間全てが
愛の粒子を振動させているように感じられ、
軽いエクスタシーに襲われたりする(笑)。
今日も、仕事帰りに駅を歩いていると、
すれ違う人たちの中に、愛を含んだ素粒子が、
プルプル震えるように振動しているのが見え、
(感じるのではない。本当にそう見えるのだ!)
歓びの想いが込み上げてきた。
なんか、どの人もみんな聖性で輝いている。
このプルプル振動している純粋なエネルギーを、
〝天使〟と呼ぶのかも、と思ったりした。
空間が、
愛と調和でできた素粒子の波に見えだすと、
物質と空間、人と人、との間に境界が無くなり、
溶け合っているような感覚になる。
どちらが私で、どちらがあなたでも同じだ、
というふうに感覚化されてくるのだ。
なんか、ここ最近、あまりに後ろ側
(自分側/無限の全体側)がリアルになりすぎ、
そっち側を現実として生活をしているからか、
昨日寝ていると、突然、さああーっと、
空間が消えていってしまった。
「ええっ!これ全部、ただの妄映だったのか!」
でも、我に返ると、肉体はまだあるんだよね。
馴染むまで、少し時間がかかりそうだ。
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