前側同士(肉体同士)ではなく、
背後同士(意識同士)でのコミュニケーションに
慣れてくると、色々面白い現象が起こり始める。
誰かと話していても、
常に相手と背後同士で話しているような感覚に
なるため、背後同士で、大好きーっ、愛してるーっ
といった感覚を交歓し合っていると、
そのとき相手が怒っていても、
それがすっごく愛おしく見えてきて、
最終的にはやはり、相手が愛に変わってしまう。
また、目の前の相手がリアルではなくなるので、
リラックスして相手に対峙できるようになる。
この前の〝コンババ部長に逆切れ事件〟
の時みたいに、逆に、言いたいことを、
きちんと伝えることができるようになる。
結果、相手にすごい感謝の念が湧いてくるのだ。
これまで、肉体の相手がリアルでなくなれば、
相手が何をしていても気にならなくなる、
と思っていたが、実際は逆で、
仲の良い友人には何でも話せるように、
リラックスしてちゃんと想いを伝えることができる。
それから、世界を粒子で見るようになる。
ざざざーっと空間が粒子にばらけていく感じ。
昔、あやこさんが、
空間が柔らかくなる、と言っていたが、
柔らかさを通り越して、素粒子にまで分解され、
空間自体が薄っぺらく見えてくる。
そして、
背後の無限の全体が実在であり、
本当の自分も、本当の他者も、
完璧な愛そのものの存在としてそこに在る、
と理解できてくると、外的な豊かさは意味を失い、
自分の心の中の豊かさ(神の豊かさ)を、
外に反映させて世界を観ることになるので、
優しい夢を見ているような状態になる。
これまで、幸せな夢というのは、
穏やかで、平安で、何も起こらない、
凪のような状態なのかな、と想像していた。
しかし、実際は、いろんな事に神を感じて、
キュンキュンしている状態なんだろうな、
と想像できる。
現実は真実ではないからどうでもいい、
という人もいるけれど、僕にとっての現実は、
自分の内面(無意識)が、
どういう状態であるかを知る上で、
とても重要なものになっている。
なぜなら、隠そうとしている自分の心の中は、
そっくりそのまま、
目の前の日常で展開されている
自分の人生という現実に現われているのだから。
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