香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神だらけの世界と罪だらけの世界

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  いま香港では多くの商店が続々と、

  閉店ガラガラ店じまいしている

 

そういえば、もうすぐ冬至である。

 

噂によれば、風の時代が始まるらしい。

 

僕の中でも、あらゆる風景の見え方が、

 

急激に変化していっている気がする。

 

 

僕の一年を振り返ってみれば、今年が最も、

 

精神的な変化が体感できた年だったと言える。

 

いま、この瞬間に神が在ることに気づき、

 

自分の内面が愛に満たされてくるにつれ、

 

本当に現実も愛へと変わった。

 

これは単に、考え方や心の持ち方を変えた結果、

 

現実の見え方が変わった、というものではなく、

 

同じ人がまるっきり別人のようになったりする。

 

また、職場でも、神に抵抗せずにいると、

 

人が去ったり、業務が自然に変わったりして、

 

いつの間にか、どうやっても平安になる。

 

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これはあくまでも個人的な見解だが、

 

多くのコース兄弟は、現実がよくなることを、

 

否定的に捉えているような気がする。

 

(※ あくまでも個人的な感想である)

 

現実でラッキーな事が起きてヤッターとなったら

 

自我の世界がよくなったことを喜んでいる、

 

自分はまだこの世界にいたいと思っている、

 

と捉え、そこに罪悪感を見たりする。

 

また実際、

 

現実がよくなることが目的ではないんですよ、

 

と顔をしかめる教師もいる。

 

 

僕は、

 

物理的に物事がよくなったことを喜ぶのではなく、

 

世界の中に神の反映を感じられていることに

 

歓びを感じている。

 

聖霊兄貴の視点から夢の世界を見たり、

 

自分の心の中に在る神に気づいていけば、

 

夢の世界も愛で満たされるのは当たり前だし、

 

赦しによって心の中が変われば、

 

心の反映である現実が好転し、

 

現実が穏やかで優しい絵に変わるのも当然で、

 

逆にそうならないとおかしい、とさえ思う。

 

 

逆に素粒子とか量子物理学の観点から言えば、

 

観察者の意識が現実に反映されるのなら、

 

赦そうとして罪を直視すればするほど、

 

意識が常に罪悪感ばかりに向けられるので、

 

自分の見ている世界が罪悪感だらけになり、

 

それを見て、

 

まだ自分はこんなに罪を感じている、

 

まだ自分はこんなに神を恐れている、と、

 

延々罪悪感を直視し続けることになったりする。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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なので、僕は、

 

現実をよくすることを目的にはしないが、

 

罪を直視するために現実があるのではなく、

 

自分がいまどれだけ神を受け入れているか、

 

を知るバロメーターとして現実を見ている。

 

 

そういう意味で、

 

赦しを実践したり、何か他のスピを実践していて

 

現実がいつまでも苦しいままなのであれば、

 

「これ、なんかおかしい!」

 

と疑った方がいいと思う。

 

なぜなら、もし本当に、

 

神や聖霊兄貴を選択しているのであれば、

 

苦しい、なんて絶対にあり得ないと思うから…。