香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神だらけの世界と罪だらけの世界

f:id:shusaku1:20201204161425j:plain

👆 全ての商品が6割引き!

  いま香港では多くの商店が続々と、

  閉店ガラガラ店じまいしている

 

そういえば、もうすぐ冬至である。

 

噂によれば、風の時代が始まるらしい。

 

僕の中でも、あらゆる風景の見え方が、

 

急激に変化していっている気がする。

 

 

僕の一年を振り返ってみれば、今年が最も、

 

精神的な変化が体感できた年だったと言える。

 

いま、この瞬間に神が在ることに気づき、

 

自分の内面が愛に満たされてくるにつれ、

 

本当に現実も愛へと変わった。

 

これは単に、考え方や心の持ち方を変えた結果、

 

現実の見え方が変わった、というものではなく、

 

同じ人がまるっきり別人のようになったりする。

 

また、職場でも、神に抵抗せずにいると、

 

人が去ったり、業務が自然に変わったりして、

 

いつの間にか、どうやっても平安になる。

 

f:id:shusaku1:20201204161440j:plain

 

これはあくまでも個人的な見解だが、

 

多くのコース兄弟は、現実がよくなることを、

 

否定的に捉えているような気がする。

 

(※ あくまでも個人的な感想である)

 

現実でラッキーな事が起きてヤッターとなったら

 

自我の世界がよくなったことを喜んでいる、

 

自分はまだこの世界にいたいと思っている、

 

と捉え、そこに罪悪感を見たりする。

 

また実際、

 

現実がよくなることが目的ではないんですよ、

 

と顔をしかめる教師もいる。

 

 

僕は、

 

物理的に物事がよくなったことを喜ぶのではなく、

 

世界の中に神の反映を感じられていることに

 

歓びを感じている。

 

聖霊兄貴の視点から夢の世界を見たり、

 

自分の心の中に在る神に気づいていけば、

 

夢の世界も愛で満たされるのは当たり前だし、

 

赦しによって心の中が変われば、

 

心の反映である現実が好転し、

 

現実が穏やかで優しい絵に変わるのも当然で、

 

逆にそうならないとおかしい、とさえ思う。

 

 

逆に素粒子とか量子物理学の観点から言えば、

 

観察者の意識が現実に反映されるのなら、

 

赦そうとして罪を直視すればするほど、

 

意識が常に罪悪感ばかりに向けられるので、

 

自分の見ている世界が罪悪感だらけになり、

 

それを見て、

 

まだ自分はこんなに罪を感じている、

 

まだ自分はこんなに神を恐れている、と、

 

延々罪悪感を直視し続けることになったりする。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

なので、僕は、

 

現実をよくすることを目的にはしないが、

 

罪を直視するために現実があるのではなく、

 

自分がいまどれだけ神を受け入れているか、

 

を知るバロメーターとして現実を見ている。

 

 

そういう意味で、

 

赦しを実践したり、何か他のスピを実践していて

 

現実がいつまでも苦しいままなのであれば、

 

「これ、なんかおかしい!」

 

と疑った方がいいと思う。

 

なぜなら、もし本当に、

 

神や聖霊兄貴を選択しているのであれば、

 

苦しい、なんて絶対にあり得ないと思うから…。