香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛の投影と愛の反映

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自我側(前方側)からのアプローチによっても、

 

幸せを感じたり、何かに感動したり、

 

歓びに震えたりすることはあると思う。

 

偶然、幸せな出来事が起こったり、

 

ネガティブな思考を手放していったりすることで

 

意識が一瞬クリアな状態になり、

 

背後の無限の全体から来る愛を歪めることなく、

 

現実世界に愛を〝投影〟させることができる。

 

 

しかしそれは、

 

神の愛が背後の無限の全体を通って、

 

スクリーンの裏側から滲みだしてくるときの、

 

〝反映される愛〟とは似て非なるものだと思う。

 

 

投影される愛は、私の恋人、私のこの幸せ、

 

というふうに、個人に限定されるが、

 

反映される愛は、

 

何もなくても、人や風景全てが愛に輝いて見え、

 

幸せの粒子が全体に波及している感じになる。

 

 

また、投影される愛は、

 

考え方や見方を変えることによって獲得されるが

 

反映される愛は、

 

今この瞬間への抵抗を止めることで

 

〝わたし〟という個の自分が消失し、

 

ただ感じていることによって獲得される。

 

 

簡単に言えば、無限の全体から流出した愛が、

 

自分の肉体から前方へ向かって放出されると、

 

それは投影された愛となり、

 

神の愛が、自分の背後をぐるりと回って、

 

現実のスクリーンの裏側から、自分へ向かって、

 

滲みだしてくるように放射されてくると、

 

それは神が反映された愛となる。

 

 

全然、うまく説明できていないが、

 

この投影される愛と反映される愛を

 

いっしょくたにしてしまうことによって、

 

神が反映された愛までもを自我だと捉える、

 

という〝混同〟が起きてしまう。

 

要するに、感じているのは同じ、

 

愛、大好き、感謝、調和、の感覚であっても、

 

投影と反映では、向きが全く逆なのだ。

 

背後から回って、裏側から自分に放たれる愛は

 

そのまま〝愛の循環〟となるが、

 

自分の肉体から、相手の肉体を突き抜けるように

 

放たれる愛は〝愛の相殺〟となる。

 

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というわけで、明日は出社である。

 

これは個人的な直感ではあるが、今週一杯で、

 

古いパラダイムが終わり、来週の冬至以降は、

 

新たな自分を生きる時代になる予感がしている。

 

まさに、背後の世界がリアルになる時代である。