クリスマス休暇真っ只中のボクである。
休暇一日目の昨日は、もう、ただただ寝ていた。
無理に起きようと思えば起きれるのだが、
自分には分からないプログラムの更新が、
裏で走っているのだろう、と、眠るに任せていた。
それで今日は、朝から家の大掃除をした。
天井、タイルの壁、各部屋のドアなど、
漂白剤を少しだけ混ぜた水で拭きまくった。
家具にはちゃんとワックスをかけ、
冷蔵庫や電子レンジの中も掃除した。
また、要らない服とかタオルとかも断舎離した。
最後は、掃除機とモップがけをして終了。
👆 酒瓶やおもちゃも全部取り出して磨く
このエリアだけで30分を要した
家って、自分の心の中の状態を映し出す鏡だ、
と言われるが、本当にそうだと思う。
なので今回は、
自分の心の中をクリーニングするような意識で、
自分の心と向き合いながら、丁寧に掃除をした。
午前中いっぱいかけて掃除をしたあと、
リビングのソファでボーっと休んでいると、
家具、カーテン、壁、床、観葉植物、など、
空間のあらゆるものの奥から神が輝きだし、
これが今の自分の内側の反映なんだ、と、
なんだかすっごくうれしくなった。
今回の僕は、結婚もせず、家庭も持たず、
子供や恋人もいない。(今は…👈ここ強調!)
物理的には何もないのに、
なんでこんなに〝うれしい〟のだろう?
現実には何も起こっていないのに、
わけもなく、ただただ有り難いのはなぜなのか?
👇 無限の全体が自分の本質だと理解してから、
これらの記事が真実だと確信できた。
(あくまで僕の中でだけ、なんで…)
この感じを説明するのは難しい。
目には見えない領域に、巨大な愛の流れがあり
それこそが自分の本質そのもので、
そこでは、全員がひとつに解け合っている。
今、この瞬間に在る神に抵抗するのを止めた時、
左から右へと横向けに感じらていた時間の棒が、
ぐわんと90度回転し、縦に貫く点となって、
自分の過去と未来、他者の過去と未来が、
今、同時に展開しているように見えるのだ。
なので、たとえエゴの感情が上がってきても、
「あ、自我だ!」と気づいて、本質へと戻れば、
自我は兄貴によって愛に変えられてしまう。
このとき、自我のように見えていたものは消え、
代わりに、なんとも言えない愛おしい感じが、
わわわわっとこみ上げてくるので、
「あ、赦しが完了した!」と感覚的に分かる。
すると、縦軸に連なっていた、
あらゆる過去や未来の幻想のシーンが、
ごそごそっ、と消去されてゆくのも見える。
比喩ではない。本当に見えるのだ。
以前は、瞑想の時でなければ、
この愛への変換の流れが起きなかったが、
最近では、普通の生活の中でも可能になった。
明日はチムサーチュイへ繰り出すつもり。
そして、これからゆっくり、
白ワインにサクランボをつまみながら、
全日本フィギュアスケートを見ることにする。
99%羽生選手が優勝かな?
礼儀正しいし、素晴らしい選手だとは思うが、
目つきが怖すぎる!と思うのは僕だけだろうか?
鋭い、とか、目力、というのではなく、
どこか、イッちゃってるような目。
あの目を見るたび、何か底知れぬ狂気というか、
本当はこうしたいのにできない何か、
を抑圧しているような気がして、怖くなるのだ。
そう感じるのは僕だけかも知れないけれど…。