今日で三が日も終わりである。
今年の年末年始は香港でも寒かったあ~。
去年の年末の朝に出社したときのことだが、
トイレでエドワードが呼ぶので行ってみると、
トイレの壁に霜が降りていた。
もうエドワードは、香港では珍しいと大騒ぎで、
何枚も写真を撮りまくっていた。
この連休中は、毎日一時間ほど瞑想をしていた。
どんな時でも、
自分は神しか感じることしかできていなかった、
と完全に悟る。
もう、いつ肉体を脱いでもいい、と思う。
なんていうか、この世界で、何やかやしながら、
ベール越しに神や天国を感じているのが
何とも煩わしく、空しく感じられるのだ。
長居は無用、
店じまいをしてさっさと帰還したい。
年が年なので、やりたいことは一通りやったし
特に思い残すようなことも、これと言ってない。
今はまだ家族がいるので無理ぃ~、とかもない。
強いて言えば小説を書くことだが、
これだって、すでに本も何冊か出せたし、
そんなに執着しているわけではない。
そこで、
今、聖霊兄貴がやってきて、じゃあ10分後に…
と言われても大丈夫か、と自問してみた。
答えは、ソッコーでYESだった。
なんなら5分後でもオーケー。
もう即答だった。
数年前にも同じ質問を自分にした覚えがあるが、
その時は、まだちょっと待って、と躊躇した。
じゃあ、当時の自分と、今の自分の間には、
一体どんな差があったのか、と考えてみたところ
当時の自分はまだ、色んなものを恐れていたが
今の自分は、恐れていない、ということだった。
なんていうか、今の自分は、
神の愛を神の愛として、正しく感じられているので
神に対する恐怖がほとんどなくなっている。
まあ実際、突然、神にバッ、と襲いかかられると、
「まだちょっとどうかな?」という部分はあるが、
それならそれでもいい、と思えていたりする。
☟ 僕の〝ちょっと待ってよ〟時代
もう、こんな意味のない世界はうんざりなんです、
父が待つ故郷へ永遠に帰還したいんです、
と思っていても、
じゃあ5分後に迎えに来ますと言われ、慌てて、
見られてはまずい色々な物を処分したり、
家族に残すべき様々なものを準備しているうち、
再度現実に戻ってしまい、
最終的に時間切れアウトー、みたいなことなど
少なくとも僕の場合は、絶対に無い。
と思う。多分…。