👆 バルセロナのどこかの天井(2011年)
自分の本質(僕の言い方では背後側の自分)が
完全に赦されていて、全てを肯定されていて、
どんな時でも愛そのものの存在であった、と、
体感をもって気づいた瞬間、全ての力は、
自分側(内側/背後側/兄貴側)に在り、
在るだけで全てを創造できることが解かった。
たとえ、この夢の現実世界がどう変化しようとも、
今、この瞬間の神に抵抗せず、
この無限の可能性の領域に開いて委ねていると
自分は何もする必要がなく、ここに在るだけで
このまま完璧な存在だ、という理解が起こり、
夢の現実はどうとでもなることが心底わかる。
お金持ちになりたい、作家になりたい、
最高の恋人に出会いたい、成功したい、など、
以前の僕は、この無限の可能性を使って、
様々な願望や夢を実現させたいと思っていた。
しかし〝真の〟無限の可能性を智った時、
お金持ちになりたいとか、成功したいとか、
そんな、すぐに消えてしまうような、
ちっぽけで粗末なものなんか要らないと思った。
なぜなら、無限の可能性の中では、
何かを達成しようと思えば達成できてしまうので、
それはもう、夢でも願望でもないからだ。
そうなると、もう肉体なんて無くてもいいや、
このウソの世界に居続ける必要もない、
幻想の世界で何を実現させても幻想じゃん、
という想いが日に日に強くなってくる。
👆 パリ・ドゴール空港(2013年の出張にて)
ただし、
「もうこんな自我と罪悪感を投影した、
不安と恐怖の世界はうんざりだ、
だから、さっさとこの幻想の世界から去りたい」
という感じでは決してない。
「自分が真に存在している場所を智っているので
もう肉体を持ってこの夢を見る必要はないかな」
という感じである。
しかし、その瞬間が来るまで、
自分はまだ〝ここ〟に留まらねばならないので、
それまでは、
大いに神(無限の可能性)を表現しながら、
この幸せな夢の世界を生きようと思っている。