今日は出社勤務だった。
出納帳を締めたり、週報を書いたり、
資金繰りをチェックしたりと月曜はいつも忙しい。
しかし、奇跡的に午後4時に退勤できたので、
帰りにビアカフェに寄ってアニータの本を読んだ。
ビール1杯くらいなら、と注文して飲んだら、
やっぱり飲めなくて、結局、殆ど残してしまった。
本当に僕はもう、
お酒が飲めない身体になってしまったんだ、
と、しみじみとした感慨がこみ上げてきた。
ここ数日〝赦している感じ〟で生きている、
みたいなことを延々書き綴っているが、
なんかいい表現は無いだろうかと考えていると、
〝自分の内側に心を開き、
赦しが自然と自分の中に流れるのを
許している状態〟
という言葉が出てきた。
この〝赦しの感じ〟こそが自分の本質だった、
起こってもいないことを、起こっているように
思い込んでいる事を赦している、
という自覚ができてくると、
見える景色全てに赦しが反映され、
全てが赦されているものとして認知されてくる。
自分を責めるのを止めること、
先ずは自分の本音に優しく寄り添ってやること、
出てきた抵抗に愛を見い出してやること、
そして何より、
あらゆることを、ちゃんと〝感じる〟こと、
赦しはその中から生まれると思うのだ。
これからは、赦されている世界の中で、
自分の本質のままで生きて行く。