前回書いたように、金曜は朝8時出勤であった。
6時半起き!眠い!
ランチまでの時間がすっごく長く感じる。
以前の過去記事を見たら、朝5時に起きて、
深圳の工場へ通っていた時期もあったんだね。
その当時の写真や文章の中には、
その時代を必死で生きている自分がいた。
だが、顕われては消えてゆく姿そのままに、
人も、物も、状況も、今では何も残っていない。
残っているのは、ブログの写真と文章だけ、
つまり、記憶だけである。
そういう意味で、
今、歓んでいようと、苦しんでいようと、
僕達はただ、
消えてゆく姿を消えてゆくものとして
見送っていくことしかできないのだな、と思った。
しかし、当時のその瞬間瞬間に感じていた、
愛おしいという想いや、悦びの気持ち、
平安や充足感といった感覚だけは、
今、この瞬間も僕の心の中に息づいていて、
いつでも〝味わう〟ことができる。
だから、肉体としてのあの人はもういなくても、
形の上で、
あの素晴らしい出来事は過ぎ去っていたとしても
その瞬間に味わった、大好き、ありがとう、
といった、愛や感謝の〝想い〟は、
今、心の中で瞬時に蘇らせることが可能である。
そして、その不変の想いを感じることが、
〝神を思い出す〟ということなのだ。
背後の無限の全体側で生きるようになると、
あの素晴らしい出来事が、
今も、現実に続いている必要など全然なく、
むしろ、
内側でずっと続いている感じになる。
外で何が起きているかを見るのではなく、
何を感じているか、にフォーカスしてゆくことで、
外に見えている映像はひとつ残らず幻影であり、
起きては消えてゆく波の泡ぶくのようなものだ、
ということを〝知る〟のではなく、
〝感じられる〟ようになる。
👇 深圳工場時代のボク
みんな跡形もなく消えてしまった!
(極めて初期の記事より)
というわけで、今日も午後4時に退社し、
上沼恵美子のような香港のおばちゃんたちと、
チャーシュー争奪戦を繰り広げた後、久々に、
カフェで白ワインを飲みながら読書をした。
それで、ワイン一杯で酔いがまわり、
家に着くとソッコーでベッドに倒れこんだ。
ホント、お酒が弱くなったわあ。