聖霊を選択する、というのは、結局のところ、
〝愛の感じがする方〟を選択することだったんだ
と、腑に落ちて感じている今日この頃である。
自分の中でいい感じがする方、
平安な感じのする方を選択した時点で、
すでに、聖霊兄貴を選んでいる。
「今日の夕食は何にしよう?ピザ?お寿司?」
「仕事終わりに、あのカフェに寄ってみよう、
いやでも今日は家に帰ってまったりしようかな」
「この仕事、続ける?辞める?」
「この想い、相手に伝える?伝えない?」
毎日、24時間、僕たちは選択の連続である。
そんな時、
僕は常に自分の内側に問いかけ、
心地よい感じがする方を選ぶ。
「相手にはっきりこの事を言う?」
「いや、今は怖いし、言わない方が安心だから
今、この時点ではやめとく」
みたいな…。
それで、どえらい目に遭ったとしても構わない。
〝優しい愛の感じ〟(聖霊兄貴側)の方を選んだ
ということが大切なのであって、結果ではない。
愛か恐れか、
平安を選択しているか、正義を主張しているのか
と、よく奇跡講座では言われたりするが、
喫茶店でケーキを選ぶだけなのに、
これではあまりに深刻すぎる。
ていうか、怖い。
「見た目は最悪だけど、なんかこっちが好き!」
「A社の方が給料も高くて事務所もきれいだけど
なんか、B社の方がいい感じがする」
「今日はなんか、遠回りして帰りたい気分」
そう、聖霊に訊いて聖霊を選ぶ、というのは、
日常のちょっとした選択の中にある。
何を選択したか、その選択が正解かどうか、
ではなく、
〝聖霊兄貴の優しい感じ〟を感じられているか
が、とても重要なのだ。
これはまた、
条件や思考による意味づけの裏に流れている、
ハートの感覚に気づいていく訓練でもある。
実際、僕は一日をそうやって過ごしている。
仕事などで、どうしても〝そうではない方〟
を選択しなければならない場合は、
「自分は今はそういう選択をする」
と、力強く決断して、そっちを選ぶ。
そうやって、聖霊を選択し続けていると、
やがて、世界に聖霊が反映されてくる。
どんどん夢の世界に愛が沁み出してきて、
内側も、外側も、同じ神の優しさで包括される。
それに何より、
選択する力が自分に戻ってくるので、
決断することが怖くなくなる。
決断の主体に戻って選び直す、というのは、
案外、こういうちょっとした事なのかもしれない。