👆 春節の雰囲気が漂い始めた香港
昨日の記事で、
「自分はこの罪悪の世界に留まります」と、
〝自分で〟はっきり決めておきながら、
もう一方では、聖霊兄貴に、
「私は天国へ還りたい。導いて下さい」
と、矛盾したことを祈っていると書いた。
それはまるで、神社へ初詣に行って、
「私は絶対に受験に失敗してやる」
と堅く決心しながら、神様に柏手を打ち、
「大学に合格できますように」
と祈っているようなものだ、と…。
そうなのだ、僕たちは、自分で決めている。
例えば、
母親からずっと〝お前はダメだ〟と言われて
育ったから、私は自分に自信が持てなくなった、
と思っているとすれば、
そもそも、母親の言っていることを受け入れる、
と決めたのは、紛れもない自分だし、
自分を責めてしまうんです、というのも、
自分を責める、と決めているのは自分だ。
そして、
この〝自分で決めたこと〟を選びなおすのは、
自分にしかできないと思うのだ。
僕の場合、去年の国慶節の前後辺りからかな、
絶対に神しか選びたくない、愛しか要らない、
もう、こんな不安と恐怖の世界は心底うんざりだ、
今後は何があっても、背後の無限の全体だけ、
そのままの自分だけで生きていく、
それができなかったら、死んだ方がマシだ、と、
心の底から強烈に、それこそ全身全霊で、
決心した瞬間があった。
それまでの自分は、神だ、愛だ、と言いながらも、
今の会社は、
自分が本当に居たい場所ではないけれど、
この会社を辞めれば大変なことになる、とか、
このパートナーシップはもう終わりにすべき、
と思っているのに怖くて手放せない、というふうに
〝頭では分かっているんだけどモード〟
でやっていた。
しかしこれを続けている限り、いつまで経っても
投影が終わらないことにも気づいていた。
どんなに赦しても、どんなに聖霊に頼っても、
〝自分〟がその環境に留まることを、
自分で〝決め〟たことを選び直さないので、
結果、年がら年中、繰り返し、繰り返し、
恐怖や不安の映像が映し出されることになる。
また、
自分が無限の全体であることに気づけば、
会社に天国が反映されてくる、とか、
ギスギスしたパートナーシップも、
突然、特別な愛の関係に変わるはずだ、
と、思っていた時期もあったが、
実際、自分に本当の力が戻ってくると、
そういう考えも、
自分は何もせずに、世界の方が変わってほしい、
という想いの裏返しだったことが見えてくる。
本当の意味で神側を選ぶことを〝決めた〟なら、
行動レベルでの〝選択〟を迫られる。
そのとき、
あなたなら、さあ、どうするどうする、である。