みなさんは、
自分がずっと大切にして来たものを、
ちょっとした不注意で壊してしまったり、
傷つけてしまった、という経験はおありだろうか。
というのも、少し前のこと、
電気スタンドのガラスを割ってしまったのだ。
10年前、バルセロナで買ったもので、
色とりどりのビードロ細工が施されている。
一点物の手作りで、一目ぼれだった。
壊れないように、厳重に梱包してもらって、
FEDEXの特別割れ物注意便で運んでもらった。
それがモップの棒があたり、パリンッ、と…。
うわっ、やってもーた!最悪や!終わった!
あの、パリンッ、となった一瞬に対する、
後悔と自責の念が、ぬらぬらと湧き出てくる。
と、次の瞬間、僕が傷つけてしまったスタンドが、
痛さをこらえながらも、いてててーっ、と、
必死で笑おうとしているように見えだした。
まあ、物理的にスタンドが笑うわけなどないが
僕にはそのスタンドが、
傷ついたもう一人の自分のように思えたのだ。
あれ?何で傷をつけてしまったら最悪なんだ?
あれ?何で不注意で破損したら終わりなんだ?
このスタンドは終わってなんかいない。
僕の父は、たとえ僕の指がなくなったとしても、
変わらず、僕を死ぬほど好きでいてくれるのだ。
途端、
スタンドに対する愛おしさが込み上げて来た。
それは、いつも僕と一緒にいてくれる、
愛の伴走者に対する愛おしさでもあった。
僕から、最悪やな、終わりや、と思われながらも
いててて、と、必死で僕に微笑みかけている。
「ごめんよ、僕も大好きだよ」
スタンドに話しかけながら、
傷ついた〝自分〟を全力で慈しんでやる。
スタンド(自分)に優しくし、愛で満たしてやる
大切にしているモノを通して、僕は、
自分を癒し、赦しているのだな、と思った。
最後に、自問自答してみた。
もし、ガラスも割れていない、まっさらな、
これと全く同じスタンドがあったとして、
自分は今のスタンドと交換するか?
答えは即行で、ノー、であった。