👆 今日のお昼のお弁当。本当においしくて、
毎日気分が上がるひととき
今日社長に辞意を伝えた。
先月、
もう一人の日本人(コーヒーカップ事件の同僚)
が辞職して日本へ帰国した時は、
引継ぎの際に、無責任だ、とか色々言われ、
辛い思いをしながら去っていったので、
僕も、ある程度の覚悟は決めていたのだ。
たとえ何を言われても、
神の選択として凛と全て受け入れよう、と…。
しかし、社長からは、
「星谷さんには、長い間頑張ってもらった。
本当にありがとうね。ご苦労様でした」
と、意外にもねぎらいの言葉をかけられた。
残っていた年休の40日分も、
全て買い上げてもらえることになった。
元コンババ部長には、先に伝えていたのだが、
「一番頼りにしていたのに…」
と、ちょっと落ち込んでいる。
アニータが言っていたように、
自分の内側をいたわり、愛で満たしていくと、
見えている世界に愛が映し出されてくる
というのは本当だと、今は自信を持って言える。
自分の本質が愛であることが解かってくると、
無限の全体が自分だったという理解が起こり、
現実のスクリーンには、
内側の愛(神の感じ/大好きな感じ)を反映した
出来事が映し出されてくる。
それを見てまた愛を感じていると、
愛が循環しはじめ、
〝愛である感じ〟が自分そのものであり、
全体でもあったことが心底腑に落ちてきて、
最後には、個の自分が消える。
どうやら僕の場合は、罪悪は無い、とやるよりも
内側に在る神(愛)を智ることで、
世界は無かったことを智ってゆく方が、
性に合っているようだ。
たとえ僕が、日本帰国を選択していたとしても、
やはり同じように、
神を反映させていたのだろうなと思う。
なぜなら、外側で何かを選択する際、
何をどう選択するか、という問題よりも、
どんな心の状態で選択をしているかが
とても重要になってくるからだ。
心に愛が満ちた状態での選択は、
それがどんな選択であっても、
体験される結果もまた愛でしかない。
とまあ、こんな感じで、
退職まではまだ二カ月くらいあるのだが、
神の中で起こることに一切抵抗せず、
ここに在る今をじっくり味わいながら、
神の中で過ごしていこうと思っている。