香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

泡ぶくのわたし

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👆 また今日も行っちゃった!

 

 

引き寄せの法則など、全く学んだこともなく、

 

これといって興味が無いにも関わらず、

 

なぜか、こまごまと引き寄せているボクである。

 

 

それでも、何かを引き寄せる上で大切なのは、

 

想いであるということくらいは知っている。

 

この世界は〝想い〟だけでできている、と、

 

事あるごとにこのブログの中で綴ってきたが、

 

ここへ来て、その想いこそが神そのものであり、

 

その想いこそが真の自己そのものだった、と、

 

理解が起こり、感動している。

 

 

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何年か前に、一瞥体験をした際、

 

どこにも自分がいないことを悟った。

 

腕、心臓、脳、果ては私という概念に至るまで、

 

どこにも自分という存在を見つけられない。

 

目を閉じて、自分の思考を観察してみても、

 

ただ〝想い〟だけが、サイダーの泡のように、

 

シュワシュワと湧きあがっては消えて行くだけで、

 

それを〝思っている主体〟がどこにもいない。

 

でも、どこかに〝自分が在る感じ〟はしていて、

 

現に、もう一人の存在がどこかにいなければ、

 

〝自分がいない〟ことにも気づけないはずだ。

 

 

その当時は、

 

湧き出す想いや感じとは別に存在している、

 

〝自分が在る感じ〟が何なのかが分からず、

 

ただ〝感じ〟とか〝それ〟と表現していた。

 

しかしいまは、それが無限の全体の感じ、

 

神の感じ、実相の感じ、愛の感じ、であり、

 

それこそが真実の自分でもあったと解かる。

 

それでようやく腑に落ちて分かったのが、

 

神や、実相や、兄貴(自分)、天国というのは、

 

人や場所やエネルギー体といった、

 

確固とした存在があるのではなく、

 

想いそのもの、感じることそのもの、

 

気配そのもののことだった、ということである。

 

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様々な物や場所や出来事に神の気配を感じて、

 

つい、その気配の出所を探ろうとしてしまうが、

 

その気配自体がもう〝神〟だったのである。

 

 

感じ、気配、様子、感覚、味わう、エクスタシー、

 

何でもいいが、そこに神は在り、それしかない。

 

想いしかなく、それが実在だ。

 

しかし、その〝想い〟は内側でしか味わえない。

 

だから、神へ向かうには内側(背後側)へ向かう。

 

神 (想い)は自分の内側に充満している。

 

 

泡ぶくは消えるに任せる。

 

 

かといって、誤解を避けるために言っておくが、

 

何かを引き寄せるために神の想いは使わない。

 

(断固!きっぱり!👈あっやしーい!by 兄貴)