⇑ いま、シャトレーゼの春限定商品である
レモンケーキにハマっていて、
毎日三個ぐらい食べている
〝夏草や つわものどもが 夢の跡〟
ファイル類も廃棄され、同僚も去り、
訪ねてくる人もいなくなった事務所で一人、
カチャカチャパソコンを打っていると、
つくづくこの芭蕉の句が身にしみてくる。
同僚たちとすったもんだやった時期も、
期日に間に合わそうとテンパっていた仕事も、
また、日本へ帰るか思い悩んだ日々も、
みんな夢のまた夢、
その跡にはただ、夏草が生い茂るばかりである。
30代や40代の頃は、何かを失っても、
次はこれ、その次はあれ、というふうに、
意識は常に未来へ向かって急いでいた。
しかし、50代に入ったころから、
なにをどうやっても、最後は必ず終了するじゃん、
どうあがいても、最後は絶対消えるやん、
と分ってくると、すごく今を慈しむようになった。
そして、この終わってゆく〝流れ〟こそが、
神の想いの流れ、ハートの愛と歓びの流れ、
天国のエクスタシーの流れそのものだったんだ、
と気づいてからは、〝寂しい〟〝虚しい〟から、
平安、安堵、強いては、悦楽へと変わった。
流れに抵抗せず、今この瞬間に顕われくるものを
消えてゆく姿として、見とめ、聞きとめてゆくこと、
それが、幻想を直視する、夢を夢として見過ごす
という意味なんだな、と理解ができた。
⇑ 母の日用のケーキが並ぶケーキ屋さん
香港人は母の日をすごく重視するので、
この日はどこのレストランも満席だった
背後(内側/無限の全体側)に入ると、
そこには、ものすごい愛のエネルギーというか、
悦楽(エクスタシー)の激流が流れている。
今までは、この激流に巨大な恐怖を抱いていた。
しかし、もう、
この流れを神へ向かう流れとして受け入れ、
抵抗せずに、流れるに任せてゆく。
その任せた結果が、眼前のスクリーンに、
芭蕉が言う〝夏草や〟となって顕われている。