👆最近スイーツ食べ歩きにハマっている
これはリー・ガーデンのワッフル
人影(肉体)を見過ごして光の方(神)を観よ、
と、奇跡講座ではよく言われるが、
病気になったり、イライラしている自分や、または
攻撃してきたり、理不尽な振る舞いをしてくる
他者の人影を見過ごすのはなかなか難しい。
それには、
人影の中に自分や他者は存在しないことを、
知識ではなく体感で認識することが大切になる。
というのも、今日、電車に乗っていた時、
ある女性が、たまたま僕の向かいで、
スマホをいじっていたのだが、その時、
本来なら人格も主体もあるように見える肉体が、
木の上を這う昆虫やトカゲかなにかのように、
ただ体をくねくね動かしているだけの、
得体の知れない何か、に感じられたのだ。
その身体の中のどこにも〝その人〟は存在せず
意思も意識も持たずに、ただ動いているだけ、
ただ反応しているだけの何か、に見えた。
「なに、このにょろにょろと動く生物は…!」
と思った途端、この中には自分も他者もおらず、
全くの空っぽだ、と、はっきり知覚できた。
👆 近所で買ったタピオカミルクティー
〝香港人頑張れ〟の文字が…
あの人が怒っている、あの人が笑っている、
今日はお腹が痛い、彼があんなことを言っている
など、僕たちは、肉体の動き方(動作)を見て、
怖くなったり、愛されていると感じたり、と、
様々な解釈によって反応しているわけなのだが、
結局、肉体同士では何も伝えあってはおらず、
肉体の動きから、その人の感情を推し量り、
解釈しているようにみえて、実は、
自己の背後(内側)と他者の背後(内側)同士で
互いにコミュニケーションをしている。
最近の僕は、
1日の大部分を背後の内面で生きているので、
外に見える風景や、他人が何か言って来たり、
もしくは、自分で何か行動したりすることは全て
背後でやり取りをした結果のように見えている。
従って、自分の思いの結果を、映像として、
眼前に見ているだけなのだが、
その映像の奥に存在する〝ひとつの愛の輝き〟
に反応して、僕たちは、
愛し合ったり、憎しみ合ったりしている。
「もうこんな世界にはうんざりなんだ、
もう早く父が待つ故郷へ永遠に戻りたい、
ここに神はない、自分はいま地獄にいるのだ」
という〝地獄経由〟からの、
「全部神だった、神しかなかった、
自分は愛そのものだった、
自分の本質は歓びそのものだった」
なのであった。
しかし、
これからはもう、地獄経由なんて必要ない。
直接神へとつながってゆけばいいと思うのだ。