僕のことを知っている人が聞いたら、ウソだろー、
と叫ぶと思うが、最近僕はとても無口になった。
口から出る言葉を重要視しなくなったというか、
日常会話で話す言葉のほとんどが本音ではなく
また逆に、本質の自分を隠すために、
言葉を発していると気づいてから、
会社でも〝無駄なおしゃべり〟をしなくなったし、
〝人のおしゃべり〟も無視できるようになった。
同僚や友人や家族と〝おしゃべり〟をする際、
〝話の輪に入っていないとなんか不安だ〟
〝ここはこう言っといた方がうまくいくだろう〟
〝ここで自己アピールしておかないとヤバい〟
〝攻撃されないために、こう答えておこう〟
といった、無意識のフィルターを通して、
色んな人と会話をしていたりする。
そして、そんなうわべだけの言葉を聞いて、
相手はこういう人だ、こんなことを思っている、
と判断し、そのキャラに即した言葉を返す。
しかし、自分が日常発する言葉を見てみると、
まあとりあえずこう言っとこう的な言葉が殆どだ。
逆に、いちいち沈思黙考して言葉を発していたら
会話なんてできなくなってしまう。
それに、僕だって、
部下と話す時と、友人と話す時では、
言葉も違うし、話し方も違うし、語気も違う。
当然、どれもが本当の僕ではない。
相手が発する表面的な言葉をすべて取り去り、
その奥に静かに佇む本質的な「本人」を感じる。
僕の場合、
その人が一人で自分の部屋にいる時とか、
一人で海を見ている時とかを想像したりする。
こうやって、言葉を取り去った兄弟たちを観ると、
みんなどこか、
静かで、凛としていて、カッコいいのだ。
なんかもう、
相手が発する言葉を完全に信じなくなってくると、
ますます、背後側(神側/見えない側)だけで、
世界を生きるようになる。
また、相手が光(最初から心の中に在るもの)
であることが体感されてくる。
そして、何度も何度も何度も何度も言うが、
こういう光の体感が起きるには、何はともあれ、
主軸が完全に自分に戻っていることが肝心だ。
自分責めをやめること、人より自分を愛でること、
矛盾するようだが、
言うべきことをちゃんと相手に言えて初めて、
言葉を手放し、兄弟を光で見ることができる。