香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

僕も愛だよっ!

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最近、夕食を食べたらすぐ寝てしまうことが多い。

夜、九時頃に眠り、早朝4時くらいに目が覚める。

そして、それからが、なかなか眠れない。

まあ、別にそのまま起きていても構わないのだが

これで会社へ行くと、午前中が少々しんどい。

それで、体だけでも休めようとベッドに横たわり、

背後の全体を感じながら半瞑想で過ごす。

それで、今朝もそんな感じで眼を閉じていたら、

若い時に上司に叱られたときの光景や、

中学の同級生から言われた「アホか」のひと言や

ジムの浴室で6針縫う怪我をした時のこと、など、

普段は記憶の襞の中に埋もれて忘れ去っている

些細な出来事が次々と脳裏に去来しはじめた。

 

 

以前の僕なら、これら過去の記憶たちを、

神に繋がることを邪魔するエゴの〝雑念〟として

即座に〝エイヤー!〟と振り払っていただろう。

しかし、愛である位置から見てみると、

かつての僕が、嫌なもの、煩わしいものとして、

ぞんざいに切り捨ててきた過去の記憶の数々が

再び愛されようと現れてきているように感じた。

「本当は愛されたかったんだよう」と叫びながら、

湧き上がってくる小さな記憶のひとつひとつを、

僕は、愛として認め、愛として送り出しはじめた。

 

 

こうして、本当は愛だった記憶の数々を、

きちんと受け止め、見送ってやることで

彼らは愛となってうれしそうに消えていった。

ああ、これが〝贖罪〟(取り消し)を体験する、

ということなんだな、とこの時思った。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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もちろん、愛として送り出せない記憶も出てくる。

父が亡くなる前日、LINEビデオで、

最後に父の顔を見ながら話したときのことだ。

話はできないが、意識はある父の顔を見ながら、

「お父ちゃん!僕が日本へ帰るまで頑張りや!」

と声をかけるや否や、父の傍にいた母が突然、

「あんた、コロナで大変やのに帰ってくるんかっ!

急に家に帰ってこられても何にもできひんし、

オリンピックが落ち着いてからでいいんちゃう?」

と、まくしたて始めた。

僕はとっさに、

「お父ちゃんを励ますため言っただけやろ!

そんな言い方せんとってくれ!」

と、強い口調で言い返した。

その時になって初めて母もハッとなったらしく、

ああ、そうか、と言って黙りこくってしまった。

 

 

こうした母とのやり取りの記憶もまた、

愛に昇華されようと湧き上がってきたが、

まだ記憶が直近すぎて赦すなんかできない。

なので、こういうのは無理に愛で見ようとはせず、

一旦スルー、放置しておく。

母も意地悪から言ったのではないし、

何と言っても親子なので、またしばらくすれば、

普通に愛として見送ることができるだろう。

 

 

とまあ、こんな感じで、小さな小さな記憶の断片を

愛として受け止めながら朝8時までベッドで過ごし

シャワーを浴びて会社へ向かった僕であった。