👆 最近毎週末はあの退職金6000万円友と
アッパーハウスでランチをしている。
これは僕の周囲にいる人たちだけに
起こっている事なのかもしれないが、最近、
〝それぞれの終戦記念日〟を迎えている人が、
とても多いような気がしている。
今まで続けてきた仕事を辞めることになったり、
突然、相手から離婚を突き付けられたり、
これまで親に頼って暮らしてきたけれど、
急に自立しなければならなくなったり、または、
すっごく大切にしていた人やモノを失ったり、と、
思いもよらない転換期に直面している人が、
僕の周囲で続出しているのだ。
自身の事で言えば、以前にもお伝えしたように、
前の会社が香港支社を閉鎖することになり、
日本へ帰任するか、転職をして香港に残るかで、
迷いに迷った挙句、僕は香港残留を選んだ。
そして、新しい会社で働き始めて3か月になるが
このまま会社という枠の中に入っていることが、
日増しに苦痛になりつつある。
いや、別に、
転職した会社に問題があるというわけではない。
財務や人事総務の仕事は、どこの会社でも
やることはほとんど同じなので慣れているし、
職場の雰囲気も極めて良好である。
それに、職位もお給料も前職より高いので、
あと1~2年やっていれば、何の問題もなく、
コロナ禍を切り抜けられるはずである。
でも、だめなのだ。
背後の無限の全体に繋がっている時間が増え、
愛と歓びの感じが内側に拡張されてゆくにつれ
自分の本質で存在していない場所にいると、
外側と内側の間に意識のひずみが生じ、
心がキシキシと軋みだすのだ。
これまで外側に明け渡していた力が自分に戻り、
本当にやりたいこと(僕の場合は小説)を、
思い切り表現できる確信とパワーが出てくると、
それと真逆の行動をしている自分に、
大きな違和感と齟齬を感じてしまうのだ。
👆 昼間からワインでリラックス
明日何が起こっても、今この瞬間は至福。
この至福が〝神の気配〟である。
でも、でも、でも…である。
いざ、これまでの安全枠から飛び出そうとすると、
恐怖という警告音がものすごい音量で鳴り響く。
「お前のその年齢では再就職は無理やでぇー」
「キャリア全部失って後悔の人生や、破滅やな」
と、自我がぎゃんぎゃん騒ぎ出すのだ。
こんなことなら、
前職に留まっていた方がどんなに平安だったか
と、選択を後悔させる声まで聞こえてくる。
だが、違うのだ。
会社から言われたからこうしました、ではなく、
自ら古い自分を終わらせると決断することが、
当時の僕には決定的に必要だったのだ。
だから、僕の兄貴は、わざわざ転職をさせ、
恐怖や後悔とちゃんと向き合わせたうえで、
愛と感謝と共に力強く選択させようとしたのだ。
それが本当の意味で過去を赦すことになる。
もし、僕が前職に留まり、今年の年末辺りに、
日本帰任を以って退職をしていたなら、
気持ち的にはもっとラクだったかもしれない。
しかし、これだと会社の決定に〝乗った〟だけで
自分でちゃんと決めていないのだ。
そうなると、僕はきっとまた恐怖を避けるために
枠の中へひょいっと戻っていくに違いない。
風の時代だとか、今年の冬至でゲートが閉まる
とか、スピ界ではいろいろ言われてはいるけれど
僕の感覚では、あながち間違いではなさそうだ。
少なくとも、僕に関して言えば、一刻も早く、
保身からやっている全てを手放させようとする
何かの強い意志が働いているのを感じる。
悪いようにはしないから、とにかく手放せ、と…。
さあ、どうなる、周作!