香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

心の中の裏通り

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コースは心の中の事のみを扱っており、

 

この夢の現実は、はなから起こってもいないので

 

現実で幸せになろう、とか、現実をよくしよう、

 

という想いは自我だと述べるコース兄弟がいる。

 

しかし、僕から言わせると、

 

今ここに在る神の愛を感じていれば、

 

現実は幸せで平安なものになって当然である。

 

それに、この世界で、もっとお金が欲しい、とか、

 

素敵な人と巡り合って愛し合いたい、とか、

 

辛い現状を変えたい、という望みは、

 

神の愛がほしい、と望んでいるのであり、

 

決して自我ではない。

 

逆に言えば、仕事でヘトヘトになっていたり、

 

人間関係に疲れ果てている現実がある時、

 

あなたはいま、

 

神を感じられていない状態にある、ということだ。

 

現実で疲労しながら、私は神に愛されています、

 

なんて絶対にあり得ないし、

 

現実で怒りや動揺を感じているのに、

 

私は何も感じていません、とやるのもおかしい。

 

 

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👆 こういう〝心の中の裏通り〟を直視する

 

 

お金が欲しい、は、神の豊かさが欲しい、だし、

 

上司にイラッ、は、神から愛されたい、だし、

 

理不尽な要求に悔しい、は、神に認められたい、

 

という想いの裏返しである。

 

なので、

 

金が欲しくて欲しくてたまらなーいっ!

 

あの上司マジムカつくーっ!

 

何で自分がそんな事言われなきゃいけないんだ

 

という想いも、神の愛を欲する叫びである。

 

その想いをきちんと感じ、味あわせてやることなく

 

「これは起こってません。神だけを望みます」

 

と〝感じていないふり〟をするのはもう、

 

喜劇を通り越して悲劇でしかない。

 

 

神しか欲しくありません、とやる前に、

 

誰かに怒りを爆発させている自分、

 

(本当は神に愛されたくてたまらない自分)

 

あんな奴死ねばいいのに、と思っている自分、

 

(本当は神に認められたくて仕方ない自分)

 

疲れてへとへとになっている自分、

 

(本当は神の平安の中で安らぎたい自分)

を、ちゃんと感じて、味わい尽くしてやる。

 

思い切り、感情を爆発させてやることで、

 

自分を責めという自傷行為を消滅させるのだ。

 

 

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実際、僕は、

 

このプロセスを経て、現実が神一色となった。

 

そういう意味で、現実をつぶさに観察することで、

 

自分の内側に隠されているものを見つけることが

 

可能となる。

 

 

そういう意味で、現実を直視するとは、

 

神を直視するのと同義語である。