毎回、ジムでトレーナーとの筋トレを終えた後、
ストレッチエリアで30分ほど瞑想をしている。
瞑想と言っても、ただ深呼吸を繰り返しながら、
無限の全体の豊かさを感じているだけなのだが、
大きく息を吸い、丹田に溜めた息を、少しづつ、
30秒ほどかけてゆっくり吐き出していると、
まるで、身体全体で息をしているようになり、
細胞が粒子となって飛び散るような感覚になる。
その時の自己が愛の素粒子になって飛び散る
ような感覚がとても心地よいので、
心拍数が上がる運動後にこの瞑想をしている。
で、今回もいつものように瞑想をしていたら、
なぜか「私は○○です」と唱えたくなり、
○○にはどんな言葉がいいかなあ、と思って、
「私は愛です」とか「私は光です」とか、
色々やってみたが、何かが欠けているようで
しっくりこない。
全てを包括した一言はないかなあ、と思って、
ぱっと出てきたのが「私は〝神〟です」だった。
愛も、光も、豊かさも、平安も、歓びも、真理も、
全てこの一文字に集約されていると思ったのだ。
誰かに宣言をするように言うのではなく、また、
マントラみたいな言い聞かせ的なものでもなく、
息を吐きながら〝神〟という言葉の裏に流れる、
愛と歓びと平安な〝気配〟を感じ取るように、
ゆっくり何度も「僕は神です」を繰り返した。
すると「神です」と唱えるごとに、僕の内側から、
巨大なパワーが湧き上がってくるのを感じた。
それは、なんていうか、自分は豊かさそのもの、
愛そのもの、歓びそのもの、光そのものであり、
神と同じものを共有する神と全く同じ存在だ、
という強烈な智覚だった。
やがてただ「神…、神…、神…」と念じるだけで、
ずんずん神の力に凌駕されていくのだった。
自分は今、神と愛し合っている(交わっている)
のだと思った。
これまでハートのエクスタシーを感じて天城越え
という体験は多々あったが、今回はなんていうか
そういう神を感じて涙を流す類いのものではなく、
もっと凛としていて、巨大で、静かで、力強く、
完璧な秩序として存在する〝愛〟の力だった。
このパワーの中にいたのは数分だったと思う。
どんなに神を感じる体験をしても、
肉体である僕たちはすぐに神を忘れてしまう。
なので、
こうして神を思い出す静寂の時間を持つことは、
とても大切なだな、と改めて感じた僕であった。