香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

こじらせ兄貴

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👆 夕食はベトナム料理の食堂で牛肉フォー

 

 

自我は、聖霊が愛をこじらせた姿に過ぎず、

 

元々は聖霊と同じものだった、という話である。

 

なので、僕の場合、自我を手放す、というより、

 

聖霊(正気)に戻す、という感覚の方が強い。

 

 

自我に気づき、自我を認識したら、

 

それは愛が裏返った聖霊なんだと理解することで

 

自我は元来の愛の姿へと変容を起こし、

 

聖霊となって僕の背後へと還ってゆく。

 

そうやって、自我を聖霊と同じ愛の存在だとして

 

認識できてくると、見えるもの、聞こえるもの、

 

触れるもの、起こってくることなど、たとえそれが、

 

どんなに忌み嫌うようなものであっても、全てが

 

聖霊(神)でしかあり得ないと理解できてくる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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少しテクニカルなやり方を述べると、

 

自我男のささやきが聞こえてきたら、

 

先ずは自分の意識を、

 

頭からみぞおち(ハート)へ、

 

未来から今この瞬間へ、と移動させる。

 

どういうことかというと、

 

〝こんなことしたら誰かになんか言われるで!〟

 

〝この仕事辞めたら、将来貧乏暮らしや!〟

 

〝もうこんな年齢で、恋愛は無理やなあ!〟

 

といった自我の声は、

 

常時頭の中に鳴り響いており

 

それが未来の不安要素と結びついた瞬間、

 

恐怖や不安となって知覚化されてくる。

 

そう、自我と頭と未来はワンセットなのだ。

 

それとは逆に、聖霊の声は、

 

常にみぞおち(ハート)で鳴り響いており、

 

今この瞬間に在ることで、知覚することができる。

 

つまり、

 

聖霊とハートと今がワンセット、ということである。

 

自我は頭の中でしか生存できないので、

 

今この瞬間に在るハートに意識を戻せば、

 

もともと聖霊である自我は消え去るしかない。

 

だから、僕の場合(あくまで僕の場合だが)、

 

自我の叫びに気づいたら、しばらく見つめてから

 

ハート(みぞおち)に在る聖霊を思い出し、

 

ゆっくりと、未来と結びついていた意識を、

 

今この瞬間へと戻してやる。

 

 

ベタな関西弁で攻めてくる僕の自我男は、

 

毎回、真正面から〝ガン見〟してやると、

 

なぜかいつも、シュン、となって消えてゆく。

 

 

今この瞬間に気づいて、

 

ハートのエクスタシーを感じていることこそが、

 

聖霊に気づいていることとなる。