昨日は歌手アニタ・ムイの一生を描いた映画、
『梅艶芳』を、アドミラルティまで観に行ってきた。
アニタ・ムイは80年代に香港で絶大な人気を
誇った女性歌手で、さしずめ香港版美空ひばり
といったポジションか。
香港ギャングとの黒い関りも取り沙汰され、
強気で頑固、誰にも屈しない姉御肌の性格は、
トラブルも多く、愛情方面では孤独だった。
子宮頸癌のため40歳の若さでこの世を去った。
👆 レスリー・チャンとは盟友だった
顔が怖い、男勝り、目ジカラがすごすぎ、
それでも歌は抜群に上手くカリスマ性もあった。
彼女は、
SARSが香港を襲った2003年に亡くなっており
それは、張國榮(レスリー・チャン)が自殺した
わずか数か月後のことだった。
映画を見ながら、
僕もあのSARSの頃の自分を思い出してしまい、
レスリーの死の場面では号泣してしまった。
古き良き香港がいっぱい詰まった映画だった。
ただ、映画の中では、アニタと熱愛の噂があった
近藤真彦をあまりに美化しすぎている、
という批判も多く出ていて、実際僕もそう思う。
なぜなら、アニタとの熱愛報道があった当時、
マッチは中森明菜とラブラブな一方で、
松田聖子ともニューヨークで密会を重ねており、
それに、最近報道された、
5年間にもわたるゲス不倫報道も相まって、
この映画を見た中国人の間で、
近藤真彦は、クズ男、ファック野郎、と、
さんざんな言われ方をされている。
結婚にしろ、恋愛にしろ、これまでの社会では、
一人のパートナーを愛し続けることこそが、
最も純粋で尊い愛のカタチだと言われているが、
肉体としての誰かを愛しているように見えて、
本当は、
その奥に在る〝同じひとつの愛の存在〟(神)
を愛していたことが理解されてくると、
同時に三人の女性を愛しても、
また、同時に三人の男性を愛したとしても、
結局、それぞれの相手の中に、
まったく同じものを観て愛していることになり、
何ら問題がないように思えてくる。
例えば、
一人の女性が、二人の男性を同時に愛しても、
それぞれの男性の中に、
〝ひとつの同じ愛の存在〟を観ているのなら、
どちらかが本気で、どちらかが浮気、
という考えにはならない。
言ってみれば、
毎日違う相手とセックスをしたとしても、
相手の奥にこの〝一なるものの存在〟(神)
を感じながら愛し合っていれば、その人は、
毎日違う相手と交わりながらも、
たった一人の聖なる存在だけと、
真剣に愛し合っていることになる。
👇コロナ直前の里帰り
👇このころはまだみんなマスクしていなかった
ただ、誤解を避けるために述べておくならば、
これまでの男性の浮気というものは、
この一なるものの存在を認識せずに、ただ、
性欲を満たすための本能だけでやっているので
上記の考えには当てはまらず、論外である。
そういう意味で、
今後は神の感覚に繋がりやすい女性の方が、
複数の相手と愛し合うようになるのだろう。
そして、結婚という制度自体も、
次第に意味をなさなくなるのではないか、
と思ったりする。