香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

自我の消滅

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正月早々、自我の話で大変恐縮なのだが、

 

自我のもっとも大きな必殺技は何かと考えた時、

 

それは何といっても〝自他の比較〟だろう。

 

自分の肉体と他者の肉体、私の地位と彼の地位

 

正社員と契約社員、自分の子供と他の子供、

 

日本人と中国人、お金持ちとそうでない人、

 

または、あの人は神への理解が進んでいるのに、

 

自分はまだまだこんなところにいる、というふうに

 

自分と他者の間に違いを見て比較することで、

 

内面に無価値観や罪悪感や優越感を生じさせ、

 

それが過度な頑張りや競争となって、

 

この物質世界に表われてくる。

 

 

そして、最近、僕の中で、

 

こういった〝違いを見て比較する〟という感情が

 

どんどん消滅しつつあるのだ。

 

 

僕に何が起こっているかというと、

 

自分と他者が、くるっと反転してしまったというか、

 

他者の方が自分だ、みたいな感覚になっている。

 

これも本当に説明が難しいのだが、例えば、

 

ジムで体を鍛えていると、周囲には、当然、

 

自分より若くてマッチョでいい体をしている人が、

 

たくさんいるわけだが、以前の自分だったら、

 

自分はまだまだだ、もっと頑張らねば、とか、

 

自分にはとても無理だ、と焦りを感じていたが、

 

今は、ムキムキなあの兄弟こそが自分なのだと、

 

比喩ではなく、本当にそう知覚されているのだ。

 

そういうふうに〝感じている〟のでもなければ、

 

他者の幸せを自分のことのように喜んでいる、

 

というような概念的な信念でもない。

 

自分と他者が入れ替わっていても何ら問題はない

 

というか、全てが自分、として捉えられている。

 

 

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友人が成功して大金持ちになったら、

 

自分が成功して大金持ちになっている。

 

友人の成功を見て幸せな気持ちになっている

 

というような低レベルなものではなく〝自分〟が

 

成功した金持ちそのものになっているのだ。

 

 

逆に、自分が至福を味わえば味わうほど、

 

それは他者の幸せである。

 

なので、自分が損をしないように、

 

相手から少しでも多く奪おうという行為は、

 

僕に言わせれば、他者から奪っているのではなく

 

自分から多くを奪っている。

 

 

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ここまで書いてきて、ふと気づいた。

 

これこそが、自我の消滅なのではないのか、と…。

 

違いを見て比較するのを止めることで

 

自我がなくなるのではなく、

 

比較する対象を間違えていたことに気づくことで

 

自我は自然と消滅するのだ。