香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

時間の消滅

f:id:shusaku1:20220104050039j:plain

 

 

24時間が自分で使える自由な時間になると、

 

毎日があっという間に過ぎてゆくんだろうなあ、

 

と思っていたら、むしろ逆で、会社にいた頃より、

 

自分に気づいて今この瞬間を過ごしているからか

 

これと言って何かをしているわけでもないのに、

 

一日がすっごく濃密で長く感じられてくる。

 

意識が〝時間の無い今〟に没入できているので

 

5分の中に永遠が詰まっている感じがするのだ。

 

 

今の僕の場合、

 

一日の大半を小説を書いて過ごしているが、

 

例えば、主人公が体験する一日分の物語を、

 

原稿用紙5枚に2時間で書いたとすると、

 

実際に経過した時間は2時間だが、

 

僕の中では1日として体感されてくる。

 

 

会社にいた頃は、

 

午前中この会議でこれについて話し合い、

 

午後はあの案件の処理をして、といったふうに、

 

〝自分が〟時間の中を横軸に移動していたが、

 

今は、自分が時間の中を移動するのではなく、

 

時間が勝手に前方からやってきて、

 

背後へと縦軸に流れてゆく感覚である。

 

 

何が言いたかったのかというと、昨日書いた、

 

他者が自分でも問題はない、という感覚と同様、

 

今日が明日でも、100年後が今日でも、

 

1時間が1分でも、1日が1週間でも全然OKだ、

 

というふうに捉らえられてくるのだ。

 

 

またこれは、自分も他者もいないんです、とか、

 

時間なんて存在しないんです、といった、

 

スピ的な概念からくる単純な理解ではなく、

 

そういった、無い、とか、有る、とかも超えた何か、

 

自分には知ることができない不可知な何か、

 

としか言いようがないところから来ている。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

そして、そんな感覚で街を歩いていると、

 

通りをゆく人々、店で働く従業員の人たち、

 

行き交う車、建物、空気、匂い、街の喧噪、

 

全てが完璧な愛として存在しており、

 

それを見ている自分も、もはや自分ではなく

 

知ることができない何か、に思われ、

 

なんとも奇妙な感覚になるのだ。

 

ただそれは、愛とはこういう感覚だ、

 

というような、理解できるものではなく、

 

知ることができないもの、知った途端、

 

それはもう〝神〟でも〝愛〟でもなくなってしまい

 

それでもやっぱり、

 

常に変わらずここに在るもの…。

 

 

ぜーぜー。

 

僕の文章能力ではこれが限界だあ。

 

ただ、僕の今の状態は、軽い、嬉しい、穏やか、

 

巨大な安心感、大好き、笑顔、なので、

 

間違った道には逸れていないと確信できる。